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英語教室ラボ・パーティの講師(テューター)榎森保乃です。

 

先日、狂言師石田幸雄先生の門下生による狂言の発表会が表参道の銕仙会能楽研究所で

開かれました。

石田先生は和泉方狂言師で重要無形文化財指定者となっており、10代の頃から野村万作氏に師事。

 

私は伊文字という狂言の女役と通行人の役。

通行人と言ってもこの通行人が主役。

苦手な舞がたくさん含まれていて

それはそれは私にとって難易度の高い狂言でした。

伊文字のストーリーは、、

「妻を持たぬ主人は家来を伴って、清水の観世音へ妻乞いの祈願に訪れます。観世音のお告げを夢見に得た主人が早速その出逢いとなる場所へ向かうと、一人の女性が佇んでいて、家来が住いを問うと女性は返歌で応じ消えてしまいます。この歌に頼って居所を探そうにも肝心な詞章が思い出せず、已む無く道行く人を無理やり止めて尋ねる事に・・・。」

その後、「い」のつく国や里を主人と家来の太郎冠者が当てていくお話。


これは石田先生!


この下に通行人の装束を着ているので最初は

着物で登場して謡のみ。女役はこの上に更に着物を被って顔が見えないように出ます。その後引っ込んでお着替え。幕が上がるその瞬間まで先生の息子さんやお弟子さんたちが針と糸で私の着ている装束の調整してくださいました!装束に関しては脱ぎ着も全てお任せです。立ってるだけ笑。



数か月前は本当に発表できるのだろかと

思いましたが、まあ何とか終えることができました。

 

よく「能」と「狂言」を間違われ、「能はどうですか」なんて聞かれます。

かくいう私もお稽古には行っているもののきちんと説明できるほどの知識がなく、

図書館で今更こんな本借りてみました(笑)。


一般的に能楽というものに能と狂言両方が含まれ、

能と狂言は交互に演じられるもの。


能の特徴


能は、華やかな装束と能面を身に付けて演じられるのが特徴です。「謡(うたい)」と呼ばれる歌や、「舞(まい)」と呼ばれる踊り、楽器の演奏によって美しく表現される歌舞劇となっています。また、セリフは「~でそうろう」といった格式高い文語調の言葉が使われます。そんな能で描かれることが多いテーマは、歴史上の人物・事件を描いた物語や、神話などの悲劇です。


狂言の特徴


狂言は、簡素な装束を身に付け、能面を付けない「直面(ひためん)」で演じられます。セリフには「~でござる」といった口語調の言葉が使われ、登場人物の面白おかしい会話によって、ストーリーが生き生きと描かれます。能と比べるとセリフが多いのが特徴です。また、喜怒哀楽の演技やセリフの聞き取りやすさから、一般的に話の内容を理解しやすい傾向にあります。狂言の作品で描かれることが多いテーマは、多くの人にとって親しみやすい、庶民の日常の出来事です。


 

そして何故狂言を?と聞かれることもありますが

「ラボ・パーティに狂言があったからです」と答えます。

 

2019年の夏のキャンプのテーマが「柿山伏」という狂言でした。

私も最初はそこからです。

 

狂言のきの字もよく知らず、

同じ地区のテューターの方がかれこれ20年も習っていたので

「教えてください!!」とお願いしました。

すると「あなたたち自分で習いなさいよ」と言われ・・・。

 

もちろん、伝統芸能ですからそれなりにお稽古にはお金もかかりますし、

めちゃくちゃ悩んだのですよ。

でもその時の私は

「子どもたちとこの活動をやるのであれば自分がまず本物と出会って

それを直に伝えたい」と思って、

清水の舞台から飛び降りるような気持ち(笑)で

その門をたたいてしまったのです~😆

 

あれから何年かたちますけど、

人に教えられるようなものはもちろん何も身についてません。

ことばを、思いを観ている人に伝えるというのは難しいことだとは

分かりましたし、何度同じことを言われても簡単にはできないことを知りました(笑)。

自分の未熟さがよくわかるという感じでしょうか、、、。


 

来月の子どもたちの東北支部発表会の前に

私もがんばったので

発表会前の心境を理解しながら今度はラボっ子たちを鼓舞したいと思いますウインク


 

狂言をラボ・パーティのライブラリーに取り入れた谷川雁氏が

「私は、観阿弥・世阿弥の成した仕事と常に対決させながら

この活動を考えていくという問題意識を手放したことは一日たりともない。

ラボ発足十周年記念のテープ(当時はテープでした)で、

私が狂言というものを選んだ理由はそこにあるということを

分かってもらえれば幸甚」

とある本に書いてあったのを見つけました!

 

これを読んで私は初めて観阿弥・世阿弥の成した仕事について

調べてみた次第・・・。

観阿弥・世阿弥、風姿花伝、、、社会の教科書に出てくることばとして

しか知らず、何をどのようにすごいのかなどと知らなかったと今更ながら思うのでありました。

 

世阿弥は父の観阿弥と共に南北朝時代から室町時代にかけて能楽を大成した人。

足利義光の庇護を受けて若い頃から役者としての才能を開花。

「初心、忘るべからず」

世阿弥は数々の名言を残していますが、これは

「花鏡」という能楽書に記されていることばです。

このことば、聞いたことはありましたが、

最初の志を大切にしよう、という意味だとばかり思ってました!!

世阿弥が意味していたことはちょっと違い、

「1つのことを長く続けたからといって完璧になるわけではない。鍛錬を続けて

次の段階に言ってもその段階における初心、拙さというものがある。

己の段階に応じて心境をかえていかなければならない」

ということらしいです。。。

しかもそれにも段階があって

是非の初心忘るべからず」・・

判断基準になる初心者時代の未熟さを忘れるべきではない。

「時々の初心」・・・

初心者から老年まで修行する中で、それぞれの時期における初心の段階を忘れるべきではない

「老後の初心」・・・

年を取ったからと言って終わりではない、老年になってからも初めてのことがあるのでやはり初心を持って芸を極めるべきである


ということのようです。

初心を忘れないというのは、たとえ老いても自らの未熟さを忘れず努力し続け、

新しい発見をしましょう、ということだと。


初老の頃とは、世阿弥の時代は50歳頃からと考えられてたのでたわけですから私もその段階!?


本番前に「お稽古の初めと終わりには教えてもらう人に挨拶をする、

一緒にやる人ともお互いに宜しくお願いしますと挨拶をする、礼に始まり礼に終わる、です」

とさっさとお稽古しようとして先生に注意された私たち、、。

ああ、そうして毎回未熟さを感じるのであります。

 

人生、まだまだ修行が足りないってことだわあ爆笑

未熟さを忘れずに努力を続け、自分を磨くのはいつまでも必要なことですね💓

世阿弥のこれらの考え方は今ビジネスの世界でも

取り入れられているようです。

日本人でありながら日本の様々な歴史を

分かってなかったのだなあ、、。

今度、世阿弥の「風姿花伝」「花鏡」を読んでみようと思います!


お読みくださりありがとうございましたニコニコ



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