ブログにお越しくださり

ありがとうございます。

こども英語教室ラボ・パーティの


講師(テューター)

榎森保乃です。

新聞記事を目にして興味を持ち

仙台パルコで開催中の


「最果タヒ展」に行ってきました。

最果さんは詩人であり作家。

全く知らなかったのですが、

「行ってみたい」という

私の直感がその場所に

連れていってくれました。

言葉が


天井から吊り下げられる

モビールに書かれゆらゆら揺られていたり、

立体的だったり、

丸く円になっていたり。

そしてその言葉は

タヒさんから

湧き出るような

いや、漂っているような

掴もうとしたらふっと消えちゃい

そうな、

それでいて読む私の気持ちを

ぐっとわし掴むような言葉。


恐らく言葉として発せられる前の言葉が

そこにあり、

言葉の意味を理解するとかしないとか

ではなく、言葉を頭で

理解するのではなく、

身体で感じるような展示。

冷たいような

温かいような

寂しいような

こわいような

不思議な感覚。

そこに「いる感覚」を

研ぎ澄ましてくれる。



ラボ・パーティ東北支部の大学生たちが

「聖なる大地をともにあるこう  

シアトルの言葉」に取り組んでます。



ネイティブアメリカンの

首長シアトルが

白人たちに土地の買収を求められた

時のスピーチ。


「大地を所有しようなどと思ってはいけない」


その言葉に

争いはいけないとか


自然を大切にとか


土地の所有争いをやめようとか


手を取り合おうとか


そういう言葉でなく


もっと人間の存在というか

根源に迫る言葉として


響いてくる気がします。

1854年に行われたスピーチですが、

時空を越えて

現代に生きる私たちにも

大きな投げかけをしているように感じます。


それを私たちは頭で理解しようと

してはいけない気がします。

大地があって光や影があって

多くの生き物がいて

そして私たち人間がいる。

そこにあなたがいて

私が確かに存在する。




タヒさんは

「言葉が、私を飛び越える」

と言ってます。

読む瞬間も。

読むことは与えられた言葉を

受動的ではなく、自分だけの言葉へと

変容させていく行為、と。



日々の言葉にならない言葉も


愛おしく、


悲しみや寂しさ


落ち込み


モヤモヤ


そんなものを抱える


自分も許してあげよう。


抱きしめてあげよう。


シアトルのスピーチと


タヒさんの詩の展示は


全く異なるかもしれない


けれど私の中で繋がったのです。


言葉について考える活動を


10代20代のわかものと共にできる、


それはラボ・テューターとしての醍醐味です。


私はことばが好きで、


ことばに励まされてきたから。


ことばで人はエネルギーを得ることが


できると思うから。


みなさん、お読みくださりありがとうございました♪


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