今日は重たい内容です↓

ある論分の締め括りに

分娩時の大量出血があった場合は、産科 DIC、意
識レベルの低下などに注意し、定期的に下垂体前葉およびその末梢ホルモンの測定や下垂体 MRI 撮影を行い、Sheehan 症候群の早期発見に努め、早期に治療を行うことが重要である
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科展開医療科学専攻
主任指導教員:増﨑英明教授の論文より(抜粋)

と、あるのを見つけた。
2014年の論分である。

シーハン症候群とは、
医師の国家試験問題に必ず出ると言っていいほどの病気だと言う。先進国では産後ケアがちゃんとしてるから発症が珍しいと、そう言われているこの病気に、2016年、私は罹患した。

ここからは私の例である。

陣痛が来てから1日ほど経過し、分娩台でもなかなかうまくいきめず、最後には会陰切開により出産した。

赤ちゃんに会えた喜びに浸る間もなく、胎盤を出した後から出血が止まらず、血圧が急上昇(下降?記憶が曖昧である)し、周りが騒がしくなった。1L以上の出血があったらしい。

しばらくして落ち着き、赤ちゃんとの対面も終わり、うとうととする時間帯に、子宮収縮の点滴による激痛(陣痛並み)が襲ってきた。痛み止めを入れてもらっても全く効かなかった。

別の部屋で処置台に乗せられ、処置後に椅子を起こされると、意識を失った。意識を取り戻すと、自分が誰だかわからず怖かった。結局、子宮収縮の点滴を止めたため、子宮の戻りは悪かったように記憶している。

産後、病室で目を覚ますと、頭痛がひどく、何日も何日も苦しんだ。辛うじてロキソニンが効いたが数時間で効き目は無くなり、飲み続けるしかなかった。
その際、脳CTを撮ったが脳外科の先生によると、異常無しとの診断だった。

赤ちゃんとはもちろんすぐには会えず、自分の赤ちゃんだけが新生児室に残され、看護師さんがミルクをあげたり、沐浴、オムツ替えをしてくれていた。

ようやく病室に赤ちゃんを迎え入れ、ようやく母親らしいことがてきると喜ぶが、母乳を飲んでいるのかいないのか、赤ちゃんは不足する栄養分をほとんど粉ミルクで補っているようだった。出ないおっぱいを一生懸命飲んでくれていたのかな?

一度トイレでぶっ倒れており、血液検査の結果、ヘモグロビンが少なすぎる、重症貧血だからヘモグロビン値が正常値になるまで退院は延期と言われた。

この時点で、出血多量、頭痛、CT、出ない母乳(プロラクチン欠乏の疑い)、意識消失、貧血、とキーワードがかなり出揃っている。

妊娠高血圧症候群だった可能性は否めない。専門家ではない私に可能性を探る術はない。
それでも、この時点でホルモンの値や下垂体の変化に何らかの異常がないか確認することができていたら、病気の早期発見につながるのではないかと、わずかな希望的願望を持ちたくもなる。

そもそもの問題は、病気が稀だから見逃されるということ。可能性はゼロではない、と全国の産科医と助産師の方たちの頭の片隅にでも留めてもらいたい。私の担当医もベテランだったが、総合病院で初めての症例だと言っていた。

そして私は、病気に気づくこともなく退院した。整体に通ったり、膠原病を疑って検査したりと、体調不良の原因が分からない日々が続いた。

状態はどんどん悪くなっていき、退院から約2ヶ月後にQOL低下により、車椅子に乗って病院を再度訪れることになる。家族たってのお願いで、である。
(体が動けなくとも、当の本人は自分が何らかの病気になってるいとは思いもよらなかった)

内分泌科医の先生との出会いにより、私と、私の家族の人生は救われた。高齢出産だから、と総合病院で出産していて本当に良かった。



珍しく、難しい病気ではある。
しかし、命に直結する病気でもある。

今も尚、症状が軽いために見落とされている患者さんが何人いるのだろう。
防げないのであれば、早く見つけてほしい。
切に願うばかりである。

病気と向き合い、生きていく。
今の私にできることはただそれだけ。
命に感謝。


Sheehan syndrome
100年の歴史を持つ忘れられた病気と言われている


最後まで読んでくださり、ありがとうございました(*´-`*)ゞ
病気になるって事故に遭うようなものなのかもしれません。
最後まで、重たくてすみませんでしたm(。_。)m