髪がやたら伸びてきている今日この頃。いっそ全部切ってしまいたいー!
という衝動に駆られながらも迷っている毎日です。

とりあえず、前髪だけ切ってきました(笑)
美容室に入って思った。久しぶりに髪色染めたい。

髪を染める、というと毎度思い出すのが母方の祖母。

私が小学生高学年頃だったと思う
当時は高校生でも染髪し始めたりなど、いわゆる茶髪が広まり始めた頃。

大正3年生まれで、生涯教師を勤めた祖母はこの風潮を頑なに批判していました。

私と母と祖母で外食していた時のこと、
例の如く「最近は簡単に染髪なんかする様になってしまって!!!」と、
祖母がけしからんモードにはいりました。

そして私に、
「どうしてそんなことしたいのかしらね??」と聞いてきました。

とっさに私が
「個性だよ。自己表現」
と答えたところ、

「髪色だけで個性やら自己表現なんて甘いのよ!

自分の生まれ持ったものと努力、実力で勝負しなさい!」

と言っていたのを鮮明に覚えています。

昔の人の意見だから、と思ってしまえばそれまでなのですが、

表現者として活動している自分にはなかなかグサッとくる、厳しい言葉として残っています。

祖母の夢は画家になることでした。

秋田県の片田舎の自転車屋の長女として生まれ育った祖母。

絵が大好きで、油絵を描いてみたくて、
でも、田舎では手に入らないし、お金もなかった

夜中に家族が寝静まってから
こっそり
銅板の上に削ったクレヨンを乗せて火で炙り
油絵具のようなものを自作し、
絵を描いてみたそうです。

ところが、、

祖母の父親は祖母が絵の道へ進むことを許しませんでした。
今から90年ほど前の話ですから、当時としては当然だったのでしょうね

本気で絵描きを目指したいと願っていた祖母は絶望し
猛吹雪の中家を飛び出して、深い雪の中を10km近く泣きながら歩き続けたそうです

そこで何を考えていたかはわかりませんが

その後は夢に蓋をして
女学校へ通い、成績トップを貫き、教師になったそうです

「夢なんて諦めた。そのかわり一生懸命仕事したわ。それしかなかった」
と祖母が私に漏らしたことがありました。

そんな祖母の言葉だからこそ
たかが髪色についてだとしても、

大人になったいま

一人の人間として
一人の表現者として
一児の親として

とても重い意味を持ったものとして
思い出されます


だからヘアカラーはやめる!
…という訳ではないのでした😅
一気に説得力のなくなるお話でしたm(_ _)m


とっぴんぱらりのぷぅ〜