お前の話は浅すぎる。このような批判もらったことはないだろうか。私もある。このような抽象的な批判ほど分かりづらいものはない。そもそも話に深さがあるというのは不思議なことであるし、比喩的だ。

しかしながら、深イイ話のような言葉が示す通りに、確かに我々は話の深さを何かしらの尺度で判断している。それが何を根拠にしているのかを知る。そうすることで浅い話をすることでいらぬ低評価をもらわずに済むハズだ。ということで、今回の記事ではこの、話の深さの基準を考える。

それでは、まずは浅い言葉とはどんなものなのか具体例を挙げてみる。例えば、「すごいと思った」だとか「感動した」のような一般的な感情論だけを発言すると、浅いと判断されるように思う。これは誰でもいえることである。そのようなことを安易に言葉に発してしまうと問題なのだろう。

先ほどの例を反面教師として、どのような発言が望ましいのか考える。すると、詳細に物事を述べる。これが深い話の条件の一つなのだということが分かる。これから何か話をするときは、話は詳細に専門的な話をしていくようにする。こうすれば話が浅いと批判されることはないはずだ。

他にも話を深くする要素を考える。先ほどあげた「すごいと思った」等の例からもう一つ深さの要素が見えてきた。それは、誰でも持っている答えだということだ。相手に自分の話を認めてもらうには、相手の持っていないものを与えなくてはならないということだ。

例えば男と女で話すとき、お互い違うものを持っているはずだ。そうでなくても人は一人ひとり違う価値観で生きている。同じような考えを持っているほうがおかしい。だからこそ会話すると新しい考え方を知ることができて面白いのだ。そこで、誰でも感じることを安易に発する人は、浅いと取られる。

つまりは、深い話をする。そういった必要がある場合。相手の持っていないものは何かを知ることで、その不足分を埋める話をする。これで相対的に深い話をすることができる。

詳細な話をすること、そして相手の持っていない話をすること。以上の二点が今回考察したうえで出た深い話をするための方策である。

あくまで個人的な見解であるので、違うと思った方はコメントで意見してくださると幸いです。