どうも、みなさんこんばんは。やぶそんです。

今回、僕が言いたいのは、


最近、夜中にトイレで目が覚めて、睡眠を妨害するということで

一切水を飲まずに夜を過ごすことで、夜にトイレで起きることを防止することに私は成功しました。

私は天才だと思いました。以上。


というくだらない導入を書いてみたのにも理由がありまして、

例えば、こんな文章を見せられた時に書き手は以下のようなことを演出できるでしょう。

・書き手はうぬぼれ癖があるということ
・書き手は我が強いということ
・書き手は上記二つの負の性質をあえてさらけ出すことでウケを狙っているということ

この文は書き手(私なんですけど)が言葉に役割を持たせています。

すなわち、書き手の意思が込められた文だと言えます。


反対に、これまでの僕の記事のように、なんの意図的な目的も込められていない文章もあります。

何故ならこれまで、その必要を感じなかったからです。


元来僕は作文が大っ嫌いで、小学校のころは

夏休みに原稿用紙を埋めるために、如何に文字数を稼ぐかということについて苦心していました。

そうやって稼いだ意味のない文が、文章の価値をを薄く伸ばしてしまう癖になってしまったのかも知れません。


そう考えてみると、世の中に溢れている言葉の中でも、

書き手が意思を込めた言葉と、そうでない言葉があることが分かります。


言葉を用いた表現力、つまりコミュニケ-ション力を伸ばすことを考えた時

もちろん他人の他人の表現をインプットして学習することになるのですが。

その際にまず第一歩として

「その表現で筆者(話者)が相手に受け取ってほしいイメ-ジ」

これを理解し、自分に取り込むことで、効果的に表現力を付けられるのではないだろうか



、、、、なんてことを一日考え続ける僕は頭がおかしいんじゃないかと思うっていう話。