2020年の日本人 松谷明彦 | 今、考えていること

2020年の日本人 松谷明彦

2020年の日本人―人口減少時代をどう生きる/松谷 明彦
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 本当にこれから日本、日本人はどうなってしまうのだろうか。もしもも、たらもないのだけれど、もし東日本大震災で福島第一原発事故が起こらなかったら?とどうしても思ってしまう。が、ここで原発事故が起こらなければ、日本だけでなく世界中に原発推進の波が押し寄せていたに違いない。


 現に今回の原発事故が起こるまでは、世界は「原発ルネサンス」が吹き荒れていた。4月始め中国で行われた「中国国際原子力産業展示会」には、世界中から300社が出展している。もちろん日本のメーカーも顔を揃えている。(ほとんど報道されないが)

http://www.coastal.com.hk/nuclear/


資料1.
広東省深セン市で6日、第9回中国国際原子力発電工業展覧会が開幕した。東京電力福島第一原発の事故を受け、中国は原発建設計画の承認を一時停止しているが、長期的には中国の原発推進の大勢には影響しないとしている。中国広播網が6日報じた。
 中国国際原子力発電工業展覧会は1995年から2年に1度開催。中国からは原発大手の中国核工業集団公司(中核集団)や中国広東核電集団(中広核集団)が出展しており、フランス、ロシア、スペイン、フィンランドは国としてブースを出しているほか、米国、日本、ドイツ、英国、韓国、オーストラリアから関連企業・団体が出展している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110407-00000034-scn-cn



 この震災や原発事故がなくても、日本、そして日本人にとっては大変な時期に差し掛かっていた。「人口減少、少子高齢化社会」の到来である。戦後一貫して日本の人口は増え続けてきた。団塊の世代と呼ばれる1946-8年までの3年間だけで850万人生まれた。5年タームで考えると1946年から1950年までの5年間に約1100万人誕生したことになる。


 それが2005年の統計で見ると2001年から2005年までに生まれたのは550万人、まさに半分である。このままいくと、2015年には間違いなく年間100万人を割り込む出生人口となる。


 人口が増え続けていたのは、死ぬ数より生まれる数が多かったからである。人口が減るのは死ぬ数より生まれる数が少なくなるからで、その逆転は2005年に起こった。いくら長寿とはいえ、100歳を超えるまで生きる人はそうはいない。2005年のデーターでも75歳以上のいわゆる後期高齢者が1164万人もいるのだ。これからは毎年死ぬ人は増えていくだろう。しかし出生は伸びない。となれば人口が減少することは必然である。


 デフレ不況といわれていた。震災で一転インフレになるのは間違いないが、デフレというのは物あまり、物を買わない、つまりお金を使わない世の中ということである。この震災で供給力も減ったが、自粛ムードも手伝って、ますます皆が物を買わない、お金を使わない世の中になった。歳を重ねてくればそう欲しいものもないのである。


 かくして、日本は人口減少、少子高齢化社会になったのだが、まずは、この現実を受け入れなければならない。子どもを産まなくなったから少子になったのだから、もっと産めよ、増やせよ運動をというので、政府が対策室なんか作っているが、そんな金があったら、復興費に使えばいい。
 
 「日本は遣隋使の昔から、異国の先進文明を教科書に、極めて効率的に社会を発展させてきた。先進国における成功事例を基盤として、その上に日本の社会を、経済を、そして文化をも、実に上手に築き上げてきたのである。」


 遣隋使まで遡らなくても、戦後のお手本はアメリカだった。アメリカに追いつけ追い越せで、一時はマンハッタンの物件を札束で買いまくったほどである。しかしそのお手本とした師匠アメリカは、決して心やさしい師匠ではなかった。そして日本人を拝金主義者に洗脳した。


 先のことを考える時には、まず現状を把握する必要がある。福島第一原発事故に対する今後の処理に対する行程表が東電から発表されたが、聞いても、読んでもよくわからない。何がわからないかといって、まずもって現状把握がなされていないからである。今、福島第一原発がどういう状態なのか、発表した東電にもわかっていないというのがわかったという情けなさである。


 原子炉は一度動き出せば、永久に停めることはできない。残念ながらコンセントを抜けばそれで動かなくならないのだ。地震で止まって、はい、終わりにならない。
 それでは発電のエネルギーとしては使えなくなった核燃料をどう始末すればいいのか?実は始末できなくて困っているのだ。よくでてくる使用済核燃料という言葉。福島第一原発にもたらふく保管されている。保管されているといっても普通にその辺に投げ出しておくわけにはいかない。常温で晒されると核反応し続けるからだ。つまり、現役の核燃料だろうと使用済みの核燃料だろうと永遠に冷やし続けなければならないのだ。


 福島第一原発事故とは、単純に言えば、冷却装置の故障に過ぎない。その冷却装置の故障は、冷却装置を動かしていた電源が失われたからである。
 今、福島第一原発で行われているのは、第一にその冷却である。冷却装置、自動的に冷やす装置が壊れたから、マニュアルで冷やしているのが現状である。冷却装置だけが壊れたなら、その冷却装置をマニュアルでやっているうちに直せば済むのだが、冷却装置が壊れて燃料棒が暴走した結果、原子炉まで壊れてしまった。東電側は最近まで言わなかったが、燃料棒の溶融は端から起こっていたのだ。
 使用済核燃料を保管しているプールの冷却装置も壊れたから、そこからも放射能はまき散らされている。東京消防庁の散水が行われたのはその使用済み核燃料を冷やすためである。
 冷却装置が壊れたのでマニュアルで、バケツリレーのように水を散水、注入し続けなければならないのは、原子炉もプールも壊れているからで、注入した水は漏れている。その漏れているというのは、表現としては適切ではない。垂れ流しに近い。まさにトレンチから海に溢れた映像の状態である。
 現在発表されている冷却に必要な水量は、毎時8トン。一時間に8トンの水が第一原発に注入されている。ということは、毎時8トンの水が垂れ流されていることになる。毎時8トンとは、一日192トンで、10日で1920トン、100日で19200トン。限がない。


 只の水なら、海に捨てればいいが、たっぷり放射能の入った水である。大して入っていない放射能と嘘をついて海に捨てて世界からは大顰蹙をかった。隠れて捨てるにも限度がある。となれば、その垂れ流された水をどこかに保管しなければならない。ということで少しづつ場所を移しているが、それだって限界がある。何しろ、一時間に8トン注入され、そのまま垂れ流されているのだ。
 ということで、フランスのアレバの提案(仕事を受注した。もちろん只ではない。)で垂れ流された放射能入りの水を洗浄して、また注入に使えるようにするシステムを構築することになった。処理能力は毎時50トンである。


 それが稼働すればめでたしかと言えばもちろんそうではない。バケツリレーが若干簡素化されただけである。そして何より対処療法に過ぎない。
 水を注入し続けていれば、最悪の事態は防げる。その最悪の事態とは核燃料がから炊き状態になって、再臨界を起こし水蒸気爆発を起こすことである。これがチェルノブイリ事故である。
 今、行われているのはこの最悪の事態を防ぐ方策である。もちろん、また前回同様の地震が起これば、現在行われているバケツリレーも中断するから最悪の事態が起こらないとも限らない。その最悪の事態が起こらなくても、またアレバの装置が稼働しても、放射能漏れは続く。壊れた原子炉を補修して、オートマチックな循環冷却装置が稼働しない限り、収束に向かうとはとうてい思えない。


 長々と福島第一原発の現状を書いたが、この状態が半年とか9か月とかの単位では収束しない、できないのは素人でもわかることであるというのを言いたかったのだ。
 先を考える時にはまず現状把握が必要と書いた。つまり、これからの日本は「放射能」と付き合っていかざるを得ないのだ。そしてもうひとつが地震である。


 今回の大震災で、巨大地震が日本のどこかで起これば、その瞬間に世の中は変わるということを学んだ。その巨大地震がこれからも起こる可能性があるということである。それも今日、明日に自分の足元で起こっても不思議ではないのだ。
 日本には54基の原発が存在する。全てが稼働しているわけではないが、原子炉はこれまでに書いたように、そこに燃料棒があれば、冷却し続けなければならない。つまり冷却装置が壊れれば、どこの原発でも福島第一原発と同じことが起こるのだ。


 人口減少、少子高齢、放射能、地震は、すでに日本、日本人にとっては前提である。だからこの4つのファクターを頭に入れて、政治家や官僚は社会、経済の新しいシステムの構築をしなければならない。そして個人は個人で、いい世の中なのかどうかは別にしても、愉しく、幸福な生き方を模索していかなければならないと思う。


デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)/藻谷 浩介
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