満員電車 | 今、考えていること

満員電車

昨日、本当に久しぶりに満員電車に乗りました。1991年のサラリーマン時代にアメリカのニュージャージーに駐在していたことがあります。1992年の3月に久々に日本に戻ってきたときに電車に乗って駅に降りたとき『人酔い』をしたのを覚えています。1994年に駐在員生活をやめて帰国しましたが、会社もやめていました。ですから、15年ぐらいは毎日満員電車に乗るという生活はしていませんでした。もちろん、その間にも満員電車にたまに乗ることはありました。


何を今さら満員電車の話しなのか。こんな言い方をすると毎日満員電車に乗って出かけ、満員電車で帰宅される方々には大変失礼ですが、私は久々の満員電車にとても新鮮さを感じたのです。それは、やっばりこの国はおかしいと感じる新鮮さでした。朝、晩の通勤通学ラッシュは、もちろん昨日、今日始まったわけではありません。私が高校の頃も、社会人になってからも、満員電車の歴史はそれは長いわけです。学校の送り迎いをベンツでされていたどこかの王子様以外は誰でも満員電車の経験はあるでしょう。今思えば、何とかして欲しいとは思っても、これが、『おかしい』ことだとは思わなかった。それは、比較するものがなかったからです。地方から出てきて、都会のラッシュアワーに驚いた方は多いでしょう。ただその驚きは『想定内』の驚きです。


でもやっぱり『日常』としての満員電車は、おかしいことだと思うのです。もちろん喜んで満員電車に乗っている方はいないでしょう。一部の『痴漢』常習者の方を除いては。満員電車がおかしいのではなくて、満員電車が日常の出来事になっていることに何の疑問も感じなくなったことが、『おかしい』のだと思うのです。そう感じることができたことが新鮮だったのです。


みなさん、最近考えたことがありますか?私は最近、やっと自分の頭で考えるようになってきました。50歳になってやっとのことです。今思えば、できるだけ自分の頭で考えないようにしてきたのかもしれません。それは、自分に自信がなかったからです。考える前に『常識』を前提にした『答え』が用意されていたからです。人から問われる『問い』ではなく、自分が問う『問い』があることに気が付かなかったのです。


JR西日本の列車脱線事故。実は私たちが考えなければいけないのは、この日本という国には3分おきに走っている満員電車が一日に何百本もあるという事実です。そして満員電車が悪いのではありません。満員電車が日常化していて、それに何も疑問を感じなくなった我々日本人の現実こそが問われる問題なのです。私はそう思います。