最後の一番長い一日 外伝 1 | 今、考えていること

最後の一番長い一日 外伝 1

また、訳のわからないことを始めました。やっと、小説を書き終えたという開放感はあるのですが、書ききれなかったこともたくさんあります。もう少し頭(顕在意識)をフル稼働して、考えていきたいと思います。


『波動の法則』を読んでいると、『デカルト』の名前が出てきます。どういう文脈の中で『デカルト』が出てくるかといいますと、現在の自然科学の元は、歴史的には『デカルト』さんあたりからだろうという具合です。わかりやすくいいますと、私たちが漠然と感じている『科学』というのは、どうも『デカルト』あたりの考えが原点ではないのかと。別にデカルトがいい、悪いではないのですが、世の常識とされることは、どこかに原点があるものです。常識などというものは、実は集団の『思い込み』に過ぎないと思っています。しかし、集団で思い込むためには、思い込むための何らかの仕掛けがあったはずです。その第一の仕掛けは、少なくとも言い出しっぺは心底その自分の主張を『真実』だと思い込んでいた、ということです。客観的に観ればちょっとおかしなことでも当の本人はおかしいなどとは露とも思っていない。


デカルトとその時代背景を少し考えて見たいと思います。
デカルトの生きた時代は中世です。17世紀のフランス。中世から近世へのちょうど過渡期的な時代ですか。中世だとか、近世だとか現代だとかの名称は、もちろん後で便宜的に付けたものです。その時代のその本人は常に『現代』です。デカルトといえば、『われ思う、ゆえにわれ在り』という言葉が有名です。ラテン語では、「コギト・エルゴ・スム」といいます。デカルトはフランス人じゃなかったのか?もちろんフランス人です。そして、彼は、この言葉は、始めにフランス語で発しました。「ジュ・パンス・ドンク・ジュ・スイ」というのがフランス語です。私はラテン語もフランス語も得意ではありません。順番としては、まずフランス語があって、次にラテン語になり、それが、日本語になったということです。デカルトは、哲学をフランス語で語ったということでの評価があります。フランスであろうと、ドイツであろうと、学術的なことは、すべてラテン語という時代背景があったからです。17世紀といえば、日本では徳川250年の始まりです。一部の場所を除いて、鎖国状態に入るわけです。


私は今の日本は唯物史観と科学万能主義が『常識』の国だと理解しています。それは、日本に住む日本人がみんなそう思っているということではありません。社会全体が唯物史観と科学万能主義で成り立っているということです。これを、デカルトの時代のヨーロッパで考えれば、根底に『キリスト教』があるわけです。専制君主の時代ですから、国を治めているのは王様です。その王様は、実は神さま、キリスト教など信じてやいません。しかし、その時代のヨーロッパの『常識』は、『キリスト教』ありきなのです。だから、天動説が地動説になると大変なわけです。そして、『物心二元論』も『自然科学』も『キリスト教』ありきの社会では成り立たないのです。


デカルトが名前は有名だけれど、哲学者としてはインパクトに欠けるのは、その時代背景だからです。『物心二元論』も『自然科学』も突き詰めるとどうしても『神』の存在を疑う必要が出てくる。実際には『神』の存在を無視して論文を書いたようなところもあるようですが、世間も学会もそんなことは許してはくれない。その社会の『常識』とは文化そのものなのかもしれません。


『波動の法則』が私たちに突きつけたものは、『常識』を疑えということです。そして、『思い込み』という呪縛から逃れることです。私が私の本質と向き合って本質と一体化するためには、私自身が『思い込み』の呪縛から開放されるしかないのです。