ガラケーサ-ガを続けたくてガラケーにこだわっていましたが、劣化が酷くて諦めました。

アドバイスに従ってプレリの在庫を減らしてから機種変更したので、スムーズに引き継ぎできました。
白うなさんありがとう(^人^)

ガラケーが大好きだったのでスマホの使い方では苦戦しそうですが、無事移行出来ました。

では、またね(≧∇≦)b
灯油タンクから灯油が漏れてますよ&生垣がはみ出しているので対処して欲しいです…と裏のお宅から言われた。

灯油タンクなんて普段見に行く事は無いので、言われなければ気づかなかったはず。
メインは「生垣何とかして欲しい」…だったとしても感謝です。


とはいえ…早急に対応しなくちゃいけないのに、私は弱っていた。

病棟のトイレの水洗レバーとの戦いに勝利したのは退院の3日前。
手を伸ばして押すのも物凄い腹筋使うのですね( ; ゜Д゜)
最初は救急救命の心臓マッサージ並みに垂直に押す以外力を入れることが出来なかったもん!!

そして、咳とクシャミには現在も敗北中。



超熟考タイプの父は初動が遅い…。
そして、クレームを受けたのは日曜日。
裏のお宅が望む早急な対応は難しいだろう。


なので、灯油タンクの破損について業者への連絡を父に任せ、生垣は私達が切り落とす事にした。


でも、私は弱っていた…ので妹に丸投げするはめになってしまった。

私に出来たのは、剪定ハサミの切れが悪くなったので買いにいく事や透明の袋を買いにいく事、切り落とした枝を詰めこんだ袋をクリンクルセンターに運ぶ事。

運転は出来る…。
てゆーか運転しか出来なかった(T-T)


昔、妹と札幌で一緒に暮らしていた時、私の方が身長が高いので力仕事は私の役目…と勝手に思っていた。
愛想が良いのも私だった。


だけど今回は作業も、作業中に裏のおばあちゃんとコミュニケーション取るのも全部妹にやってもらった。


結婚して親戚ご近所付き合いが増えた成果ですね…妹の成長を実感(T-T)





作業3日目…一通り切り落とし残りは明日…と一旦自宅に戻ったけど、スマホを確認して「明日は雨だから今から袋詰めする!!」と妹が作業に戻った。

アワアワと私も続く。


まだ屈むと痛いのでクマデでかき集める作業がメインだったけど、何とか袋詰して車庫に運びました。

実は父の車を手放した直後で車庫は空いていた。
そうでなければ、置く場所なんて無かった。


視力が落ちていた父は近年冬道の運転は自粛していた。

職場の人に親の運転を止めさせるタイミングの難しさを散々聞かされていた。
痴呆気味な親の事故処理や車を手放すよう説得する大変さ。
反対に車を手放した事によって急に老け込んだ話も聞く。


私達の親も運転を諦められないだろうな…と思っていたけど、あっさりと手放したので正直驚いた。



今回の私の入院中、父は1度も見舞いに来なかった。

私達が雪が残る冬道運転を止めた事もあるけど、本人も自信が無かったのだと思う。

妹は毎日電車で来てくれた。



私の入院は車を手放すキッカケにもなったのかな…?






ところで、裏のショボい生垣は丸坊主にしても、前庭の樹はもっさり存在している。

屋根や壁の塗り直しには物凄い熱意を見せるが、庭の剪定には消極的な父。
ちょっと意味が分からない…。


父が庭を気に入って買った家なので拘りがあるのか…?



でも、父より先に私が亡くなる可能性を感じて、少しでも過ごしやすく調えておくべき…と焦り始めている。


とにかく庭…何とかして欲しい。




病室は4階で毎日階段の上り降りをしてました。
痛み止めが効いていても歩くと振動が伝わって下っ腹が痛かったのですが、毎日少しずつ昇降の回数を増やしていました。
でも日常生活より運動量は激減しているので筋肉が落ちているの実感あり(T-T)




で、問題は退院時の帰宅手段。
妹はペーパードライバーだし、親は視力が落ちているので運転して欲しくない…となれば自力で運転するしかあるまい。



入院前に職場でも色々言われました。

自分で運転は無理だからタクシーを使いなさいとか(自宅まで20km以上ありますが…)迎えに行ってやろうかとか(職場の人にそんな迷惑かけれないよガーン)


でも私はいけると思っていたんですよね(^。^;)




結果、余裕で運転して帰ってきました。


しかもヤマダデンキとケンタ(病院の食事は薄味の魚が多くギラギラしたチキンが食べたかったのよ!!)とマックスバリュとドラッグストアに寄って帰りました。




流石に2件でへたばってマックスバリュとドラッグストアは車内待機。


座った状態で擦れたのかちょっと腹部から出血あり…でしたけど(^。^;)




久しぶりのケンタに大満足なのでヨシッ!!



親には寄り道した事はナイショ!!