このエピソードの続きになりますが、

 

母の最期に立ち会えず、悲しみと後悔の中で葬儀を終え、

 

1ヶ月経った頃に、在宅診療の医師が謝罪に現れた。

 

「もっと早く弔問に来るべきだったが、

私がお嬢さんの立場なら、怒っているだろうな、

と思って来ることができなかった。」

と。

 

はぁ?

 

彼女の診療所のプロフィールには

在宅で実の母を看取ったことが書かれていたから、

実母を失う悲しみ分かっているはず。

 

怒ってると思って、来れなかった。

つまり、自分の判断ミスがあり、

手遅れにしてしまったという認識はあるのだろう。

 

だが、泣きながら謝罪しながらも、

こんな事も言ったのだ。

 

「もう少し、早ければ、命が助かったはず。」

と私が言ったところ、

 

「ですが、高齢での腸閉塞ですので、

管が繋がれ、ずっと大便が垂れ流しの状態になったと思います。

そんな状態になっても良かったのでしょうか。」

 

はぁ?

 

死んでしまうのと、

どんな状態であれ、生きているのとでは全く違いますよね。

 

母は辛いかもしれないし、

私も大変な思いをするかもしれないけれど、

 

家族なら、生きていてほしい、

と思うものじゃないですか。

 

死んだら、何も話せないし、

温かな肌に触れることもできない。

 

何もしてあげられないんだよ。

 

様態急変の知らせを受けて、駆けつけたけれど、

母の指先は既に冷たくなっていた、

もう亡くなっていた。

 

死んで直ぐは、もう少し、温かいかと思ったけど、

もう冷たくなり始めていた。

 

死亡確認がされても、

少しでも、母の温かさを感じられたら、

まだ、つながっている感じがしたかもしれないけれど。

 

既に冷たくなった母に触れて、

本当に絶望しかなかった。

 

94歳と、世間から見れば大往生なのかもしれないけれど、

私にとっては、何歳で亡くなろうが、

母を突然として失った悲しみは計り知れないものがある。

 

人の命に責任を終えないから、

私には医師になる勇気も知恵もないけれど、

 

でも、医師として活動している以上は、

もっと一人ひとりの命に寄り添って欲しいと思う。