前回に引き続き、処刑・殺害としての意味をもつSonderbehandlungについて確認していきたいと思います。
④ ガチコフとセミョーノフ―アウシュヴィッツで「Sonderbehandlung」を受けた2人
次に見るのは、1943年1月から2月にかけて作成された、ワシリー・ガチコフ(Wassili Gatschkow)とヤコフ・セミョーノフ(Jakow Semjenow)という2人のソ連人をめぐる一連の文書です。
2人は、国家保安本部(RSHA)が行っていた秘密工作 Unternehmen Zeppelin(ツェッペリン作戦) の「Aktivisten」と呼ばれる要員でした。
ツェッペリン作戦では、主としてソ連軍捕虜などから要員を募集・訓練し、ソ連軍後方での情報収集、破壊工作、宣伝・攪乱工作などに利用していました。
なお、この一連の文書には Sondereinheit Auschwitz、Vorlager Auschwitz、SS-Sonderlager Auschwitz という呼称が現れますが、いずれもアウシュヴィッツに置かれたツェッペリン作戦の施設・部隊に関係する呼称です。
ところがガチコフとセミョーノフは重い肺結核を患い、「治癒不能」と判断されます。
そこで2人をどう処置するかについて作成された文書を時系列に追っていくと、そこには sonder zu behandeln → Sonderbehandlung → アウシュヴィッツへの移送 → Sonderbehandlung の実施 → 同日の死亡という流れが残されています。
今回は、Sonderbehandlung という単語だけを取り出して意味を推測するのではなく、同じ二人について作成された複数の文書をつなげて、この語が実際に何を意味していたのかを見ていきます。
▼NG-5221(ニュルンベルク裁判資料に収録されたドイツ語認証謄本)
Nuremberg - Document Viewer - Abgabe kranker Aktivisten
【ドイツ語原文】
Der Chef der Sicherheitspolizei
und des SD.
Breslau 10, den 28.1.1943
Schiesswerderplatz 25.
Tel.: 41252
Br.-Nr. SS-Sonderkommando
"Zeppelin" I A – 212/43
An die
SS-Sondereinheit Auschwitz
z.Hd. von SS-Obersturmführer Huhn
Auschwitz
Betr.: Abgabe kranker Aktivisten.
Vorg.: Schreiben des RSHA VI C 1 B.Nr. 54120/42 vom 1.12.1942
Die nachstehend aufgeführten Aktivisten:
- Semjenow, Jakow, geb. 30.9.1916
- Gatschkow, Wassili, geb. 20.10.18
sind hier in stationierter Behandlung gewesen und leiden an Lungentuberkulose dritten Grades. Eine weitere stationierte Behandlung ist hier nicht mehr durchführbar.
Unter Bezugnahme auf die Verfügung des RSHA VI C 1 vom 1.12.1942 betreffs Abgabe kranker Aktivisten, Absatz III (Unheilbare Kranke) wird gebeten, selbige sonder zu behandeln.
Über Abgabe ergeht gleichzeitig von hieraus Meldung an das RSHA.
I.A.
(gezeichnet): Weissgerber
SS-Hauptsturmführer.
Zu den Akten: I A – 232
【日本語訳】
保安警察・SD長官
ブレスラウ10、1943年1月28日
シースヴェルダー広場25
SS特別コマンド
「ツェッペリン」I A – 212/43
宛先:
SSアウシュヴィッツ特別部隊
SS中尉フーン気付
アウシュヴィッツ
件名:病気の活動員の引き渡し
参照:1942年12月1日付、RSHA VI C 1 書簡 B.Nr. 54120/42
以下に記載する活動員、
1)ヤコフ・セミョーノフ、1916年9月30日生
2)ワシリー・ガチコフ、1918年10月20日生
は、当地で入院治療を受けていましたが、第三度の肺結核を患っています。当地では、これ以上の入院治療を行うことはできません。
1942年12月1日付RSHA VI C 1の「病気の活動員の引き渡し」に関する指令、第III項(治癒不能の病人)を参照し、両名を特別に処置する(sonder zu behandeln)よう要請します。
両名の引き渡しについては、当地から同時にRSHAへ報告します。
代理
(署名)ヴァイスゲルバー
SS大尉
ファイルへ:I A – 232
▼1943年1月29日 NG-5222
【ドイツ語原文】
Sicherheitspolizei und SD
Sonderkommando Zeppelin
Vorlager Auschwitz
Auschwitz, den 29. Januar 1943
Geheim!
An das
K.L. Auschwitz – Politische Abteilung –
z.H.v. SS-Untersturmführer Grabner
Auschwitz
Die in der Beilage angeführten Aktivisten werden mit der Bitte um Sonderbehandlung vorgeführt.
Um Vollzugsmeldung wird gebeten.
I.A.
[Graf]
SS-Oberscharführer
【日本語訳】
保安警察・SD
特別コマンド「ツェッペリン」
アウシュヴィッツ前置収容所
1943年1月29日、アウシュヴィッツ
秘密!
宛先:
アウシュヴィッツ強制収容所 ― 政治部 ―
SS少尉グラブナー気付
アウシュヴィッツ
別紙に記載された活動員を、Sonderbehandlung(特別措置)を要請して連行します。
実施後、その旨の報告をお願いします。
代理
[グラーフ]
SS曹長
核心はこの2文
Die in der Beilage angeführten Aktivisten werden mit der Bitte um Sonderbehandlung vorgeführt.
「別紙に記載された活動員を、Sonderbehandlungを要請して連行します。」
そして、
Um Vollzugsmeldung wird gebeten.
「実施報告をお願いします。」
です。
前日のNG-5221では、
sonder zu behandeln
「特別に処置する」
だったものが、このNG-5222では明確に、
Sonderbehandlung
という名詞になり、しかもその「実施報告」を返すよう求めています。
▼1943年2月1日 NG-5467
【ドイツ語原文】
Breslau, den 1. Februar 1943
Meldung
Am 29.1.43 brachte ich befehlsgemäß die beiden SS-Sondereinheitsangehörige (Gatschkow und Semjenow) zur Sonderbehandlung nach Auschwitz. Die Sonderbehandlung wurde in meinem Besein[通常はBeiseinですが、元綴りのままにします] durchgeführt.
Die beiden Uniformen werden nach vollzogener Desinfektion vom K.L. dem SS-Sonderlager Auschwitz zugewiesen.
[Brunngräber]
SS-Oberscharführer
Zu den Akten: IA-232
【日本語訳】
ブレスラウ、1943年2月1日
報告
1943年1月29日、私は命令に従い、SS特別部隊員のガチコフとセミョーノフの2人を、Sonderbehandlung(特別措置)のためアウシュヴィッツへ連行しました。Sonderbehandlungは私の立会いのもとで実施されました。
2人の制服は、強制収容所で消毒を済ませた後、SSアウシュヴィッツ特別収容所へ引き渡されます。
[ブルングレーバー]
SS曹長
ファイルへ:IA-232
注目ポイントは下記3点です。
zur Sonderbehandlung nach Auschwitz
「Sonderbehandlungのためアウシュヴィッツへ」
Die Sonderbehandlung wurde in meinem Besein durchgeführt.
「Sonderbehandlungは私の立会いのもとで実施された。」
Die beiden Uniformen werden nach vollzogener Desinfektion ... zugewiesen.
「2人の制服は、消毒後に……引き渡される。」
この段階では、文書単独から「どの方法で殺害したか」までは分かりません。
しかし、Sonderbehandlungがその場で「実施され」、その直後の報告には、2人の制服が消毒後、SSアウシュヴィッツ特別収容所へ引き渡されることが記されています。
▼1943年2月6日 NG-5223
【ドイツ語原文】
Konzentrationslager Auschwitz
Abteilung II
Az.: KL 14 k 4/2.43/Ki.
Auschwitz, den 6. Februar 1943
Urschriftlich mit 1 Anlage dem
Sicherheitspolizei und SD
Sonderkommando Zeppelin
Vorlager Auschwitz
in Auschwitz O/S
mit dem Bemerken zurückgesandt, dass die umstehend Genannten gesondert untergebracht wurden.
I.A.
[Grabner]
Chef der Sicherheitspolizei und des SD
VI/C/3
Vorlager Auschwitz
Geheim!
Tgb. Nr. 174/43-g.VI.
Urschriftlich
dem Chef d. Sipo u. SD Breslau – SS-Sonderkdo Zeppelin –
z.Hd.v. SS-Hauptsturmführer Weißgerber
in Breslau
mit obiger Vollzugsmeldung zurückgesandt.
[Huhn]
SS-Obersturmführer
【日本語訳】
アウシュヴィッツ強制収容所
第II部
文書番号:KL 14 k 4/2.43/Ki.
1943年2月6日、アウシュヴィッツ
原書に付属書1点を添えて、
保安警察・SD
特別コマンド「ツェッペリン」
アウシュヴィッツ・Vorlager
上シレジア、アウシュヴィッツ
裏面〔前記〕に記載された者たちは、"別個に収容された(gesondert untergebracht)"旨を付記して返送する。
代理
[グラブナー]
保安警察・SD長官
VI/C/3
アウシュヴィッツ・Vorlager
秘密!
文書番号 174/43-g.VI.
原書を、
ブレスラウ保安警察・SD長官
― SS特別コマンド「ツェッペリン」―
SS大尉ヴァイスゲルバー気付
ブレスラウ
宛てに、上記の"実施報告(Vollzugsmeldung)"を添えて返送する。
[フーン]
SS中尉
ここで重要なのは、この2か所です
gesondert untergebracht wurden
「別個に収容された/別に収容された」
と、
mit obiger Vollzugsmeldung zurückgesandt
「上記の実施報告を添えて返送する」
です。
ここは面白いので、ブログではあえてgesondert untergebracht を「殺害された」と訳さず、「別個に収容された」としておきます。
なぜなら、1月29日のNG-5222では Sonderbehandlung の「実施報告(Vollzugsmeldung)」を要求しており、この2月6日のNG-5223では、この「別個に収容された」という通知そのものがobige Vollzugsmeldung「上記の実施報告」として返送されているからです。
そしてすでに2月1日のNG-5467では、
Die Sonderbehandlung wurde in meinem Beisein durchgeführt.
「Sonderbehandlungは私の立会いのもとで実施された」
と報告済み。
さらに2月13日のNG-5466で2人が1月29日の夕方に死亡していたことが明記されます。
この文書だけを単独で読めば、gesondert untergebracht は文字どおり「別個に収容された」と読むこともできます。
しかし、前後の文書をつなげると、その文字どおりの読み方だけでは一連の記録を説明できなくなります。
※ニュルンベルク側の転記には署名を Pflaum と読んだ版がありますが、原資料を使った研究では、この署名はアウシュヴィッツ政治部長 マクシミリアン・グラブナー(Maximilian Grabner) とされています。
▼1943年2月13日 NG-5466
Nuremberg - Document Viewer - Abgabe [Illegible]
これは、1943年2月13日付で、ヴァイスゲルバー(Weißgerber)から RSHA Amt VI C/Z のロールマン博士宛に出された文書です。ガチコフとセミョーノフのSonderbehandlung要請から死亡までの経過をRSHAへ報告した総括文書になります。
【ドイツ語原文】
13.Februar 1943
IA-212/43 We/Kru.
An das
Reichssicherheitshauptamt
– Amt VI C/Z –
z.Hd.v. SS-Hauptsturmführer Dr. Rohrmann
Berlin
Betrifft: Abgabe kranker Aktivisten
Vorgang: Verfg. RSHA VI C I v. 1.12.1942
Die nachstehend aufgeführten Aktivisten
Gatschkow, Wassilij, geb. 20.10.1918
Semjenow, Jakow, geb. 30.9.1916
litten lt. ärztlicher Bescheinigung an Tbc-Pulmonum II–III Stadium. Sie wurden vom Krankenhospital zum Allerheiligen Breslau nach erfolgloser Behandlung entlassen und dem Lager wieder zugestellt.
Die beiden Sondereinheitsangehörigen wurden am 29.1.1943 unter Beifügung eines Begleitschreibens, in dem auf Grund der Verfügung des RSHA VI C I v. 1.12.1942 Abs. III um Sonderbehandlung gebeten wurde, dem SS-Sonderlager Auschwitz überstellt.
Beide sind lt. Meldung des Begleitmannes SS-Oberscharführer Brunngräber am gleichen Tage abends verstorben.
I.A.
[署名]
SS-Hauptsturmführer
Zu den Akten: IA-232
【日本語訳】
1943年2月13日
IA-212/43 We/Kru.
宛先:
国家保安本部(RSHA)
第VI局 C/Z
SS大尉 Dr. ロールマン気付
ベルリン
件名:病気の活動員の引き渡し
参照:1942年12月1日付 RSHA VI C I 指令
以下に記載する活動員、
ワシリー・ガチコフ(1918年10月20日生)
ヤコフ・セミョーノフ(1916年9月30日生)
は、医師の診断書によれば、第II~III期の肺結核を患っていました。2人はブレスラウの諸聖人病院で治療を受けましたが効果がなく、退院後、再び収容所へ戻されました。
この特別部隊所属の2人は、1943年1月29日、1942年12月1日付RSHA VI C I指令第III項に基づいてSonderbehandlung(特別措置)を要請する旨を記した添付書簡とともに、SSアウシュヴィッツ特別収容所へ移送されました。
2人は、同行者であるSS曹長ブルングレーバーの報告によれば、その日の夕方に死亡しました。
代理
[署名]
SS大尉
ファイルへ:IA-232
ここでのポイントは2か所
um Sonderbehandlung gebeten wurde
「Sonderbehandlungが要請された」
そして、
Beide sind lt. Meldung des Begleitmannes SS-Oberscharführer Brunngräber am gleichen Tage abends verstorben.
「2人は、同行者SS曹長ブルングレーバーの報告によれば、その日の夕方に死亡した。」
1月29日:Sonderbehandlungを要請してアウシュヴィッツへ移送
→ Sonderbehandlungが「実施された」と護送者が報告
→ 2月6日:実施報告が返される
→ 2月13日:実は2人は1月29日の夕方には死亡していたとRSHAへ報告
となります。
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1963年4月23日、北ライン=ヴェストファーレン州刑事警察による尋問で、ガチコフとセミョーノフの護送を担当したヴィリー・ブルングレーバーは、このとき実際に何が行われたのかを証言しています。
彼によれば、2人はアウシュヴィッツで服を脱ぐよう命じられ、SS隊員によって銃撃されました。ブルングレーバー自身も、2人が床に倒れて死亡しているのを確認したと述べています。(BArch B 162/5882, Bl.434–437.)
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ガチコフとセミョーノフの「特別措置」については、もう少し簡潔にまとめることもできたと思います。
ただ、この件について残されている史料は、それぞれが別の角度から出来事を補強しており、しかも「Sonderbehandlung(特別措置)」という言葉が実際に何を意味していたのかを考えるうえで、どれもかなり価値の高いものです。
せっかくここまで史料が揃っているのに、数行で済ませてしまうのはあまりにも惜しい。そう思って一つずつ見ていった結果、当初の予定よりずいぶん長くなってしまいました。
もっと端折ってもよかったんですけどね。
そして困ったことに、次に扱う予定の史料は、どうやらこれ以上に「どえらいこと」になりそうな予感がしています・・・。





