戸隠神社・善光寺・川中島古戦場・森将軍塚古墳アルプス公園・国宝 仁科神明宮を訪れる-2 | やべちゃんのブログ

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2)善光寺(長野県長野市)

 「善光寺縁起」によれば、御本尊の「一光三尊阿弥

陀如来様」は、インドから朝鮮半島の百済国へとお

渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の

折に百済から日本に伝えられた日本最古の仏像と

言われています。

 この仏像は、仏教の受容を巡る崇仏・廃物論争の最中

に廃仏派の物部氏によって難波の堀江に打ち捨て

られました。

 後に、信濃国司の従者として都に上がった本田善光が

信濃の国へとお連れし、初めは今の長野県飯田市の

元善光寺に祀り、後に皇極天皇元年(642年)に

現在の地に移しました。664年には勅願(天皇の願い)

により、伽藍(お堂)が造営され、本田善幸の名を採って

「善光寺」と名付けられました。

 創建以来、十数回の火災に遭いましたが、その都度

復興され、現代にいたっています。各種資料から7世紀

後半には、かなりの規模を持つ寺院が建立されていた

ことが解ります。

 鎌倉時代には源頼朝や北条一族が善光寺を信仰し、

諸堂と現在の前立御本尊を造営しました。

 戦国時代には「善光寺平」で武田信玄と上杉謙信が

信濃の覇権を巡り、「川中島の合戦」を繰り広げました。

その後、御本尊は武田家~織田家 ~徳川家~豊臣家と

渡ったが、1598年善光寺に帰ってきて、以来徳川幕府

により厚く保護されてきました。

 現在の本堂、山門は1707年に完成しました。

今日では年間約600万人が訪れるパワースポットです。

◎善光寺の写真 

立派な山門、大きい

      本堂も大きい

善光寺の字の中に5羽のハトがおり、ハト字の額

として有名、又善の字は牛の顔にも見えることから

「牛に引かれて善光寺参り」が出て来たそうです

-3に続く