運命論... 宿命論... | ちゃありぃのブログ

ちゃありぃのブログ

偏屈なオヤジが、サブカル、音楽、文学、哲学、社会や時事ネタ、そして、自らを紙クズ同然の脆弱な存在である事を標榜し、さらに人として男として研鑚していく熱い男達の集まり、クズ会の話をしていきます。苦笑

どうも。遅れて来た哲学者、ちゃありぃです。

今日、ちよっと人と運命論について話してまして...

まぁ、他愛も無い話なんですけども 笑

皆さんは 人間の一生てどうお考えですかね...。

人生を生きて行く上で 嬉しい事、悲しい事、楽しい事(人)、つまらない事(人)...

様々な出来事や邂逅と別離、があると思うんですよ。

これらを 人それぞれの運命である、と片付けられれば、哲学者としては大変楽なんですけどね...

なかなか そうもいかないので...

衒学的かも知れませんけど、ちょっと運命論について話してみますか。

宗教には 部分的に解釈可能な部分もありますけど、基本的には 運命論、宿命論は肯定されてませんよね。

まぁ、運命論を認めてしまったら、極端に言えば 現状を打破しようと努力したり、信仰する事も無意味なものになりますから...。

仏教には~因果応報~なる言葉がありますが、 これはまぁ、存在論的な意味合いでの...というよりは、むしろ人々にモラルを持たせる為の、戒めの言葉かなと思います。

また、運命論というものが存在するならば、何か到達すべき目標というか、終末があるんでしょうかねぇ...

それとも古典的で奇抜な考えですが、ニーチェの言うように世界には終末など無い、キリスト教的な未来、終末への直線的な時間の流れでは無くて、円のように時間は始まりも終わりも無く、人には輪廻転生など無く、また、生まれて生きた時代に同じ状況で戻って来る...
のかも、知れませんけど...苦笑

私的には 運命論を否定するスタンスです。

けど、似たような意味合いで、~宿命論~なる概念もありますが、こちらには 多少なりとも肯定的です。
あくまで私的な考えですが...

人には それぞれ宿命たるモノが あるのかなと、時折、思う所があります。

運命という世界を左右するような大きなモノでは無くて、個人の人生に全てとは言いませんが、多少なりとも影響を与える、宿命なるものの存在...

私は結構、悪運が強いんですよねぇ~ 笑

年末の12月だけで 救急車に2回運ばれました 笑

病気自体はそんな大した事は無かったですけど、
でも意識失った時に倒れ方が悪くて頭を強打してたら...(同席者云く、思いっきり立ち上がりって床にドーンとぶっ倒れたそうですが...苦笑)

尿管結石の痛みに二時間半耐えましたけど笑、もし痛さに失神してたら...

など考えると 大事に至らずよかったなぁ と考えます。

他にもここでは割愛させて頂きますが、人生の中で それなりの修羅場をくぐって来ました。笑

自分でもよく今まで 無事に生きて来れたな~と思います 苦笑

また、人の出会いと別れにも それを感じます。

物事が円滑に上手く行ってる時には 大きな波の様に人が集まってきますが、
それが挫折や頓挫すると、サーっと引いて行きます。苦笑

それでも穏やかなキラキラと輝く海面の様に、見守ってくれる方々も残りますがね、有難い事に...

人と人の間に~縁~なるものが あるのかなとも思いますね。

有神論者で信仰心厚い親のもと、 自分の様な偏屈な(笑)無神論者が育ったてゆうのも
ある意味、宿命なのかな...とも思います。

決して有神論者や信仰心の厚い方々を否定している訳では無いです。
念の為に...

個人の自由ですからね、有神論も無神論も。

もしかしたら 人智を超えた存在によるプレイヤーのゲームの登場人物の一人なのかも知れないですね、人間て...苦笑

それに翻弄されつつも、上手くその波に乗るか乗らないか...

宿命論も突出し過ぎると、運命論同様、危うい部分もありますけどね...

もし例え運命論や宿命論によって 人の世が絵巻の如く 内容が決まっていたとしても、それに抗する人間でいたいかなと、熱い血と肉と、繊細かつ豊かな心を持つ存在としての人間として...

私には難しそうですが...苦笑

何より人に迷惑をかけず、法を犯さない事を念頭に置きつつも、社会から遊離するとでもいいましょうか...

ひと昔前に流行った言葉で言えば、~トリックスター~になる事が 自分の宿命なのかなと考えたりもします...

まぁ、とにかく確かなのは二十一世紀という時代に 人間として生きている...
という事ですかね...

追伸。関係無いですが 私はGLAY世代です
笑笑

{E234C47A-CD3F-4C19-ABF2-BA58A0DDBBFC:01}