推し活依存症で作った借金93万円を早く完済するため、現場に行くのを1年くらい我慢していた。
2/6で完済できる目処が立ったので、久しぶりにチケットを買い、観劇予定の日を楽しみにしていたが、渋谷で人身事故が起きて、あらゆる電車が運転見合わせになった。
スマホで路線情報を検索しても、迂回路が見つからない。
駅員に相談するため、長蛇の列ができている窓口に並んだ。
払い戻しや迂回路の相談など、駅員3人で対応はしているが、なかなか進まない。
自分の順番が来る頃に、推しが出演している舞台の幕が開いた。
一度遠回りをして、地下鉄を駆使すれば、徒歩も含めて40分後には劇場に到着できる事がわかったが、心が折れてしまい、改札前でしばらく立ち尽くしてた。
悲しいとか、焦りとか、そういう感情は無い。
『虚無』という言葉が、一番しっくりくる。
40分後だって、途中入場は出来る。
でも、座席は4列目のドセンター。
演者の目の前で気が散る動きをし、感動にひたっている観客をかきわけ、ダウンコートとストールを脱いで、たたんで、バッグを足元に置いて、荒い息を必死におさえる自分の姿を想像したら、虚無になってしまったのだ。
Twitterで 「渋谷 人身事故」 で検索をして、状況がわかった。
怒りとかは無い。
ただ、虚無。
劇場に行くのはやめた。
自宅に戻るのも迂回ルートで、時間がかかった。
往復4時間と、交通費2000円以上を使って、ただ行って帰ってきただけの有給が終わった。
推し活を1年我慢している間に、推しよりも優先順位が高い物事が増えて、以前ほど情熱的では無くなっていた上に、今回のハプニング。
心が折れてしまったようで、いまだに何の感情も沸いてこない。
推しの次の仕事のチケットも買った。
でもなぜか、楽しみとか、浮かれたような気持ちにならない。
もしかして、推しに冷めた?
一時的に虚無ってるだけ?
次の現場で、生の推しを拝んでみないと、自分の本音がわからない。
推すとか、好きとか、情熱とか、そういうのは自分だけの心の問題であって。
舞台作品を作りあげるカンパニーや俳優の方々の仕事を目に焼きつけるという意味では、ファンであろうがなかろうが、現場に行く価値はある。
そこに推しへの気持ちが加わる事で、観劇がよりいっそう幸せで感動的なものになるというだけで。
次は、遅延に巻き込まれないくらい早く家を出て、しっかり目に焼き付けようと思う