小学校6年正月明け・・・YABは家出した。親族一同からの期待とプレッシャーに敗北したのだ。
 

 奈良のエリート校、T学園の入試を前に・・・4年間の努力を捨てたのだ。
 

 ただ、4年間の机に向かっての勉強は、意外に家出する時の準備・計画については、こんなところで役立つのかと思うほど、周到であった。


 家出には、やはり置手紙は必要である。


 12年育ててくれた親への恩義は、伝えねばならぬ・・・心配かけないように、今後どうしていくのかも・・・。


 だが・・・行き先など詳細を書けば家出ではなくなるわけで・・・。捜索のヒントを与えては、今後の計画に支障を来すわけで・・・。
 目指すは、九州!1月の奈良は寒い・・・暖かいところ行こう・・・。だが置手紙には「北海道へ行きます、探さないでください」と書いた。


 完璧だ!これで、みんな北海道へ行ったと思うはず、まさか、九州など思い浮かばないだろうと・・・。
 

 だが所詮、小学6年生の考えることである。
 

 実は、九州のどこかの牧場で働きたかったのだ。
 

 真剣に出来ると思っていたのだ・・・。


 電車に乗り、神戸から船に乗り九州へ~!


 翌朝、九州に到着・・・しかし、そこは大自然ではなく、都会・・・・。

 

 放牧された牛や、馬もいない・・・広がる大地ではなく、ビルとアスファルト・・・。

 

 

 そして、もう所持金が・・・。
 

 目的地?到着で・・・・。食べたのは、アンパン1個。
 

 泊るところもなく、さまよいその夜は、駅で寝たのだ。
 

 寝れない夜・・・当然、親の顔が浮かぶ・・・。
 

 翌朝、始発で電車に乗る・・・。一駅分までの切符を買って・・・。
 

 乗り継いで、乗り継いで奈良に向かった。


 奈良について改札で、「切符を失くした」といって一駅分の電車賃を払い改札を出て、公衆電話から家に電話した。

 

 キセル乗車・・・今から50年近く前のお話・・・時効。

 

 当時は国鉄で、JRではない・・・。まあ、ある意味、切符代の債権としては消滅しているだろう。


 父が駅まで迎えに来て、無言のまま道場に連れていかれ、何度も何度も投げられた。
 

 もう立てないぐらいになった時、背中を向けて「おかえり」と言った。
 

 その背中は、とてつもなく大きく、そしてかすかに震えていた。
 

 YABはの中で「おとうちゃん」から「親父」に変わった瞬間でもあった。
 

 家に着き、青あざと鼻血、擦り傷のYABを見て、YABの2泊3日の家出のことより、親父が、祖母と母に、こっぴどく叱られ、YABの家出は、ある意味、親父のおかげで、うやむやになったのである。

 

 その春YABは、地元の公立中学に入学した。