犀星「ふるさとは遠きにありて……」 | 柔ら雨(やーらあみ)よ 欲(ぷ)さよ



 三好達治が大きな影響を受けた先達詩人として、萩原朔太郎とともに名前の挙がるのが室生犀星です。実際、三好の初期作品の幾つかには犀星の詩からの本歌取りに当たると思われるものが見出されます。
 ただ、私はこれまで犀星の詩も小説も全く読んできませんでした。ことしは休職して暇になったので、岩波文庫の室生犀星詩集と短編小説集の2冊を手にとりました。

 小説の方はちゃんと読めるのですが、詩はというと、読者は岩壁をハンマーでそっとたたいて化石を探し出す考古学徒の気分になるというか、私たちの詩を読む経験からすると、一時代前の遺物を眼前にしているような印象です。
 大正デモクラシーの思想潮流の中で、大変なお坊ちゃん(≒ブルジョア)意識を、新たに誕生した近代的自我のものとしてそのまま肯定的にとらえ、その肯定への罪の意識に駆られる場面もないではありませんが、総じてそれが無邪気に謳歌されています。似ている文学者といえば、『暗夜行路』の志賀直哉を連想しました。

 三好達治は犀星の詩の批評も書いていて、丁寧にその作品を読んでは褒めちぎっていますが、あいにく、私はあまり同意できません。
 今日、犀星の詩を読む意義といっては、考古学的(近代詩史的)な価値を除いてはほとんどないと、まずあらかじめ断言しておきます(ただし、小説は別です)。ですから、犀星に対しては、三好達治論をやる上で必要最小限の作品群をリーディングの対象にするというのが私の方針です。

 その例外として1篇だけ、犀星の最も有名な詩をここで読んでいきましょう。
 第一詩集『純情小曲集』(大正7年)に収載された「小景異情」、これは6篇の小詩の連作なのですが、その2に当たる作品です。



室生犀星





小景異情 その二


ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食
(かたゐ)となるとても

帰るところにあるまじや

ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや





 この詩はメロディがつけられて歌われもして、若い方を除けば、皆様もどこかで読んだり聞いたりした覚えのある作品でしょう。
 ところが、この詩のリーディングには解釈上の大きな問題があるようです。作品末尾で繰り返されている「遠きみやこにかへらばや」の「遠きみやこ」とはどこを指すのか? 東京を指すとする人と、犀星のふるさと金沢を指すとする人が対立したまま、見解が統一されていないようです。
 一体、犀星が「かへらばや(帰りたいものだ)」と嘆息しているのは、東京と金沢のどちらなのでしょう?

 萩原朔太郎は、この作品を犀星は東京で書いたとの前提に立って、東京から「遠きみやこ」とは金沢のことであると解し、この作品を「望郷の抒情詩」と読みました。
 ところが、実際には、犀星はこの作品を郷里の金沢で書いたようです。この事実に立つと、最初の5行は帰郷したふるさとへの幻滅を歌っていることになり、後半の5行は、まるで東京という都がふるさとであるかのような思いを抱いて、「東京に帰りたいものだ」と歌っていると解されることになります。
 このような読みを打ち出して朔太郎を批判したのは吉田精一でした。また、岡庭昇氏もこの読み方を採った上で、ここで歌われているのはふるさとへの憎悪だとまで言い切っています。

 その後、この議論は停滞したままになり、どちらかといえば、朔太郎を批判した「遠きみやこ=東京」説が優位にある印象です。
 しかし、私は、この詩は金沢の地で書かれたという事実に寄り添いながらも、吉田・岡庭両氏の読みには同意できないものを感じています。「遠きみやこ」とは、東京のことではなく、あくまでも金沢の地を指すものだと解したいと思います。

 まず、本詩集冒頭に置かれた「小景異情」の連作は、上に引いた「その二」以外でも、東京への憧憬やふるさと視に定位した作品とはなっていません。
 例えば「その五」では、1行目で「なににこがれて書くうたぞ」との自問から始まって、5行目で「田舎暮しのやすらかさ」と答えられています。これは「田舎暮しは本質的にやすらかだ」という意味ではありません。「けふも母ぢやに叱られて すもものしたに身をよせぬ」と告白されているように、現実の田舎暮しは犀星にとって苦々しいものでした。だからこそ、「やすらかな田舎暮し」に「こがれて書くうた」がこの「小景異情」なのだというのです。

 末尾の「その六」では、「ああ あんずよ花着け」とうたわれていますが、ここでのアンズの花とは、自然物を暗喩とした「やすらかな田舎暮し」のことであり、「その五」の「なににこがれて書くうたぞ」の問いかけに対する究極の答えです。
 アンズに向かって花を着けよというこの祈願が、東京をふるさとと見るような態度と無関係であることは明白です。逆に、犀星を疎外するふるさとにアンズの花が咲くことで、その疎外関係から脱却、融和することが「こがれて」いる当のものなのです。
 「その五」・「その六」が明確にふるさと金沢を志向している以上、ここで問題となっている「その二」も、同じ文脈で読むのが自然ではないでしょうか?

 次に、この詩集全体の印象として、東京と金沢、いずれにも犀星は疎外感を感じてはいますが、懐郷心によって東京よりも金沢とより強く結ばれており、「東京をふるさとに見立ててそこに帰っていきたい」という心情を本詩集中の他の作品から見出すことはできません。
 たとえば、「ふるさと」と題された作品では、「もえよ 木の芽のうすみどり」と祈られていますが、これは「小景異情その六」末尾の「ああ あんずよ花着け」と同格であり、ふるさとは、単にふるさとであるだけでは足りず、その上にアンズの花を着けること、木の芽が萌え出ることが祈られ、恋焦がれているのです。

 さらに、端的に「都に帰り来て」と題された詩集後半の作品。これは明らかに金沢から東京へ帰ってきたことを歌う詩ですが、ここには東京へのあこがれやら、そのふるさと視といった要素は皆無であり、東京で暮らす詩人としての厳しく強い意志表明がなされています。
 また、後年の作品で、東京に居を構えた犀星は、田舎の暮らしぶりを自分の家の中へ持ち込むことで懐郷心を慰めてもいます(詩集『寂しい都会』所収の「第二の故郷」)。
 これらを総合するとき、犀星が東京を「ふるさと」と見たという事態は甚だ考えにくいことだと言わねばなりません。

 さらに、もう1つリーディングの手がかりになるのが表記法です。
 6行目の「ひとり都のゆふぐれに」の漢字表記「都」は疑う余地なく東京を指していますが、最終行「遠きみやこにかへらばや」の「みやこ」は平仮名表記であり、東京以外の地をも含み込むようなイメージの広がりを感じさせます。つまり、表記「都」と「みやこ」とで、2つのミヤコ意識を書き分けようとした可能性があります。

 ただし、表記法から言えるのはせいぜいここまでで、実際には、他の作品では平仮名表記「みやこ」が明らかに東京を指している例も見受けられます。
 「小景異情」では、同一作品内で「都」と「みやこ」が書き分けられている点が、詩人の意識していた意味内容に両者で差異のあることを感じさせるにとどまりますが、それでも、この差異を無視してしまうよりはよい読みでしょう。

 私が「遠きみやこ」を金沢の地であると解する有力な根拠になるだろうと見ているものは、金沢が北陸地方の住民から(地方的な)都として意識され、「古都金沢」という定型句が今日まで盛んに用いられていることです。地元民にとって、金沢は「みやこ」として意識される土地にほかならなかったのです。犀星は、この地元民の意識をそのまま受容していたものと私は推測しています。
 ただし、この推論を犀星の「遠きみやこ」という詩句に適用するためには、論証に手間のかかる前提を2点ほどクリアしなくてはなりません。

 一つは、地元民の「古都金沢」という意識がいつ成立したのかという点です。犀星の『純情小曲集』が書かれた後に成立したなら、私の推論は全く成り立ちません。私もちょっとネット検索してみたのですが、よくわかりませんでした。
 ただ、幕末には、江戸、大阪、京都に次ぐ人口を擁する巨大地方都市だった金沢が、明治に入ると人口減少がとまらず衰退の道をたどります。それに歯どめをかけたのが明治31年の陸軍歩兵第七連隊司令部の設置で、これ以後、「軍都金沢」の呼称が生まれたようです。
 また、明治27年には、東京、仙台、京都に続いて、第4高等中学校(戦後の金沢大学)が開設され、ここでも「学都金沢」の呼称が生まれています。

 これらのことから推すに、地元民には金沢を「都」と呼ぶやむにやまれぬ思いがあったことが高い蓋然性を持って予想されます。その思いの背景に想像の手を伸ばすとき、遅くとも江戸時代の末期には金沢を「みやこ」と意識する都市感覚が地元民の間で成立していたことが考えられるのです。この点は、金沢の郷土史家に尋ねれば明快な回答が得られるでしょう。
 もう一点、検証を要するのは、金沢の地元民にそのような「みやこ」意識が成立していたとして、それを若いころの犀星が受容していたかどうかです。これは犀星の研究者に聞けばわかるものなのか、ちょっとわかりませんが、そこまで犀星に入れ込んでいない私はその手続の労をとっていません。

 したがって、上記の私見は直感の域を出ないものですが、それでも「遠きみやこ=東京」という読みよりもはるかにましなものだろうと確信しています。
 犀星にとっての金沢は、複雑な家族関係の中で育った血のつながりとともにある、苦しくて寂しい「ふるさと」であったのと同時に、古くからの誇れる文化的な憬れの「みやこ」でもあったのであり、この金沢の二重性が簡潔な形で表現されているのが「小景異情 その二」なのです。

 その意味で、犀星の懐郷心はシンプルなものではなく、悪しき「ふるさと」と憬れの「みやこ」への分裂した思いをともに抱え込んだ、いわば骨折した懐郷心です。
 そのように読むことで、この詩を冒頭に掲げた詩集『純情小曲集』の全体の見通しもすっきりとしたものになります。
 といっても、ぼくとしては、皆さんにこの詩集をお読みくださいとお勧めする気になれないところがいたしかゆしなのですが、まあ、今回は、犀星のあの有名な詩を1篇読んだだけでも何ほどかのものではあったということでおさめていただければ幸いに存じます。(^_^;)



金沢を流れる犀川





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