今記事をさいごに、連投をおしまいとします。
またしばらく記事は書かないかもしれませんので記しておきます。




砂糖についてぐるぐると考えていましたが
いちばん身近な材料のひとつである砂糖はホントに悪魔的だな、と感じた。




レメディ(波動療法)なんかは波動を砂糖玉に転写してお酒漬けにして、いざというときの薬的なつかいかたをするものですが、
このときの波動というものほど他人任せにしてはならない、毒にもなる要素…からそう思った。
しかも他人はもちろん、自分すら、も。
わたしたちがその時に鏡のような水面を保つような、そんな心、魂を研ぎ澄ましてレメディづくりに臨まなければ
たちまち薬は毒へと化してしまうような気がする。




とても難しいシロモノを、わたしたちは
いとも簡単にお供にしているのではないか。
神だとおもつているものが悪魔になりえる。




砂糖の怖さに、すこし向き合い方を考えてしまったひとときでした。




今朝、ようやく眠りにつけた先に
夢にひさしぶりに故人の、すがたは見えないけれど
その人がきっと夢の中でわたしの手にとどけてくれたものをはっきり覚えている。
忘れないうちに、、




その人は青い、ドルフィン。空を翔ける。
その青をと象徴する一枚のカードをわたしは夢で手にした。
見た瞬間に、あの人の…とおもった。
(と同時に、いつぞやかの蹴鞠のサムライジャパンみたいなデザインだなと(笑)夢がつくる、精一杯のカードのデザイン。)




そのカードに書いてあった一文字。
「伸」




意味はなんだろう、、思いついたとて
憶測にしかならない。




ことばが掲げるなにかを、わたしに
手にしてゆきなさい。と言われたきがした。




それだけは思い出せる今朝の夢だった。