これでもまだ梅雨明けじゃないのか、なんなのか
わかりませんが
とりあえずここ数日間は雨降りせずカラッカラの太陽。
ひさしぶりに畑に寄せてもらった。




一時間越えくらいは働かせてもらった気でいたが、
帰りだけ車で送っていただいて家で時計をみたら
40分くらいしか実質はたらいていない…。
それだけでもズルズルに汗をかき、犬みたいにヘエヘエ浅い呼吸でクーラーの風下にぐでんと成るしかなかった。




自宅から畑までの道のりはたしかに30分と、歩いてゆくが
まさかこんな短時間しか働いてなかったとは。衝撃。
感覚としては一時間20ふん(笑)ダメージは三時間草を抜きまくった感覚(笑)
なんという燃費のわるい現代人だろうか。
太陽がああじゃあ仕方ないがあ。




意識朦朧のなか昼食を、、、つくりおきの冷蔵庫に入っていたものと、朝炊いていったごはん。
以上。
たべるだけでも意識朦朧だもの。笑




食後も回復感なしで電気ビームで脳みそだけやられた屍みたいな気分で居たが、
なんとなしに今日いただいてきた胡瓜カンバーと塩をかじったら、脳みそが急速に回復。
身体の水分不足と表現しようか、なんなのか。
とりあえず人間も電子ですから、水分と塩がひつようですから〜〜。




今日は先日わが町にも出没した熊さんを心配しながら歩いていったが、
さいごに目撃されてから二週間ちかく経つとなると
山から山へ伝って、高槻方面へいったのか逆の亀岡方向へいったのか。わかりませんが。
二度目の目撃の際、小五の子どもさんが子熊をみつけて、そのあとから母熊とみられる親子連れだったそうです。




ちなみに本州でいちばん頻繁に熊がみつかるのは京都と滋賀のあいだの山々だそうで。
山のなかにくま鍋で有名な料亭がありますが、
わたしたち人間が熊をくうか、くうまえに喰われるかわからない世相になってまいりました。




効力があるかわかりませんが、
熊は黒くて大きい物体に畏怖するときいたことがあるので
いちばん大きい真っ黒なジャンプ傘を常に持ち歩いてみるかとも少し、それが現実味をおびて頭をよぎっております。




今日は雑草のなかに早春に出るはずの草がでてきていて、ベテラン農家さんも最近はと
頭をひねっておりました。
うちの実母もプランターで、夏と冬の花が同時にさいて単純に喜んでおりましたが
遠からず、十二単衣を着ならん時代がまいるとな?









子どもの頃から軒下に居たりして可愛い存在であるべーさん。






隣の敷地の草がこの時期もワサワサしてきて
そちら寄りの窓がグリーンになる季節である。
ぼちぼち、毎年このあとあたりに刈りにきていただける時期である。
グリーンに癒されるしばしのとき。




こどたちが乳児期をすぎてからは敢えて一人にしてもらえる時間が月に2回くらいしか無くなり、
思考停止でひたすら育児をしておりますが
今日は水無月を過ぎて尚はらりとした霧雨の空。
子どもたちを外に出せないならばと、ぽっかりと今しばらくおひとり様の時間をいただきました。




園児は雨の日でも園庭で遊びまわるので、水洗いされたお着替えもずっしりと二着分をリュックに詰めて帰ってきはる。




いや、もしかしたらば
園の貸し出しの服であれば園のほうで洗ってくださっている分もひょっとしたらあるのかもしれない。
いったい、数時間のあいだに何回着替えているのか。コワくて聞けない。
好奇心を、意欲を、静止しないわれらが幼稚園。
晴れていても雨の日でも、持たせている着替えをとおりこして園の貸出の服をきて帰ってくる幼い人。




下の子が入園するころには、、もしかしたらこの園にわが家は通えなくなっているかもしれない。
遠くなっても、通って良いと言われたならば考えるかもしれないが実質無理だろうなあ。
気持ちはこの園ひとすじである。




一人で、雨の音をききながら。
窓辺のグリーンに、出歩いた景色の山並みのグリーン。




道の途。とつぜん?
私の容れ物に、じぶん。というものが降ってきた気がした。




どうしても一人っ子で生きてきたから、
誰かの生活を(子どもたちとか)回していかなければならない日々だと自分が居なくなってしまうのかもしれない。




グリーンな雨の景色のなかで
じぶんも降ってくるおもしろさ。









たぬき蕎麦のお母さんが義務化の判を押した、雹で簡単に穴が空く黒光りのパネルたち。






防災意識のある方ならばこれから東京に住むのはやめたほうがよいみたいやね。
都内に新築、建て替えするあたりから始めとして屋根がいっせいに黒光りを義務化するにあたり、、、




大規模災害がおきたら、黒光りが一帯で燃え始めて
江戸の大火事や大空襲の様相を繰り返すのであろうか。




世界がNOといった物や薬やワクチンがどんどん廃棄場日本に流されて、すべてもろとも焼き払われるのか。
たしかに火の力、水の力がこの世の最終の浄化方法にはなるようだが。




ほんとうに人間が愚かなのは、人さまに迷惑をかけずに処理ができないものをカネの為につぎつぎ作って地球まるごと灰にしたいのか
というか人間というのが傀儡なのかなんなのか
なんで三十数年も物事のはじまりと終わりについて考えようとせずに生きてこれたのか
じぶん、人間、という狂気の生命体が恐ろしくてしかたない。