カートコバーンの映画がとてもみたい。
ニルヴァーナのギターボーカルであった
カートコバーンのドキュメンタリー


彼はどんなことを思って
音楽に向き合っていたのか。

カートコバーンの遺書をよんで
ほんとに真面目な人だったんだなって
思ったよ。

そしてとても苦しく悲しくなった。

カートコバーンの遺書を
少し載せてみたいと思う
よかったら見て欲しい

 


自分はもうずっと長いこと、音楽を聴くことにも、曲を作ることにも、何かを書くことにも、喜びを感じなくなってしまった。

ステージ裏に戻って、ライトがすべて消え後、熱狂的な聴衆の絶叫をもってしても、聴衆の愛と崇拝を喜び楽しんでいたフレディマーキュリーが感じたように喜び楽しみを感じることはできなかった。


フレディマーキュリーみたいにできるのは本当に立派だし羨ましいと思う。

自分だってみんなに嘘をつくの嫌だ。ただの一人も騙したくない。自分が考える最も重い罪とは、100%楽しいのだと嘘をつき、ふりをして、人を騙すこと。

時々ステージに出て行く前にタイムカードでも押しているかのような気分にかられていたんだ。

 

感謝しなくちゃいけないだ。だから出来る限りの力を尽くしてがんばってみた。(本当なんだ、信じて欲しい、それでも足りないんだ)。自分や自分達が沢山の人達に影響を与え、そして楽しんで貰えた事は重要だと思っている。きっと全てを失ったときに初めてそのありがたみが分る世界一のナルシストなんだ。


自分はあまりにも繊細すぎるんだ。子供のころに持っていた熱狂を取り戻すには、少し鈍感でなければならないのに、あまりにも神経質で感じやすい。

この最後の三つのツアーでは、みんなやファンにはすごく感謝している。それでもこの不満、罪悪感、感情は解消できなかったんだ。


 人間みんなどこか必ず良いところがある。だから本当に人が好きだ。あまりにも愛しているので悲しくなってしまうんだ。

 

 

自分は惨めで、ちっぽけな、何の価値もない、魚座の、救いようもない男。どうして楽しむことができないんだ。分からない。

 

 

希望と思いやりに溢れたがんばり家の女神を妻に持ち、かつての自分に良く似た娘は愛や歓びに満ち、娘に善くしてくれる無垢な人たちみんな誰彼なくキスをする。そんなことがとりとめがつかないほどの恐怖感を与えるんだ。フランシスが自分のように惨めで、自棄で、やがて自殺するロック歌手になるなんて想像に耐えられない。

 

ただ、良い時期もあった。すごくありがたいと思えるような、そのことには深く感謝している。だが、7歳の時からあらゆる一般人を憎むようになってしまった。なぜなら他の人間はあまりにも簡単に他人の感情を共感しあっているから。なぜなら自分は人間を愛し人にとても気の毒な気持ちでいるからだと思う。

 

この焼け付いて吐き気のする胃袋から礼を言うよ。今まで手紙をくれたり気にかけてくれてありがとう。

自分はすごく気まぐれな人間だから、情熱がもう情熱が冷めてしまった。

 

だから覚えておいてくれ、

徐々に色あせていくなら、いっそ燃え尽きたほうがいい

ピース、ラブ、エンパシー   カートコバーン

 

フランシス、コートニー。俺は、これからは祭壇にいるから。

 コートニー、フランシスを頼んだ。

俺がいなくなったら、もっともっと幸せに過ごすことができるフランシスの人生のために。

アイラブユー。愛してる。