〈ありがとう 無冠の友〉13 西日本編2020年8月3日

【愛知】豊田栄光圏・朝日ケ丘支部 栗木理恵さん(支部婦人部長)

 「新聞を配ると元気になります」と“太陽の笑顔”で、豊田市美術館の付近などを愛車でさっそうと駆ける。
 母親が配達する姿を見て育った栗木さん。女子部時代、池田先生との原点を築いた。今は長男が広布後継の道を歩むことが誇りだ。
 最近、うれしかったのは、雨の中を配達していた時、読者から「ご苦労さま。気を付けてね」と声を掛けられたこと。「夫の支えに感謝しています。広宣流布の願いを込めて配達していきたい」

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【大阪】岸和田錦城圏・修斉支部 端直美さん(地区婦人部長)

 母は難病と闘い抜き、配達員としての使命に走り抜いた。その“無冠の誇り”を継ぎ、2児の母となった端さんも“銀の道”を歩む。
 広布の最前線を駆ける中、一家に試練が。次男の不登校。そして長男の病気。寄り添い、祈り抜く中で、2人の息子は、それぞれ願った就職を勝ち取り、社会で実証をとさらに前進する。
 「“家族の勝利”は支えてくれた多くの同志のおかげです!」。明るい声に、感謝の心が光る。

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【大阪】枚岡友光圏・布市支部 八木久美子さん(地区副婦人部長兼白ゆり長)

 長男の病気に悩んでいた14年前に座談会に参加。誘ってくれた婦人の確信の言葉に触れ、入会を決めた。長男の病状は徐々に改善し、功徳を実感。翌年には夫と長男を入会に導くことができた。
 今、常勝長の夫は、3年前から共に“無冠の道”を。夫婦で、地域の幸福と安穏を祈り、仲良く広布に駆ける姿に、同志の信頼も厚い。
 長男は“創価の学びや”へ。明年の入会15年を目指し、一家和楽と幸福の道を、はつらつと前進する。

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【兵庫】三木大光圏・青山支部 秋口美香さん(支部婦人部長)

 「今、配達を通して地域に尽くせる喜びを、強く感じています」
 結婚を機に入会。自身の子宮がんや、夫の病気など苦難に直面するたび、親身に寄り添ってくれる同志の励ましに支えられ、信心で乗り越えてきた。
 “大変な時だからこそ、支部の一人一人と心を結びたい”と、こまやかな励ましを。近隣にも信頼と友情を広げ、毎年、新規の購読推進を継続してきた。「自分発で、無冠の使命を果たしゆく挑戦を」と朗らかに誓う。

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【奈良】富雄創価圏・鳥見支部 平畑純子さん(地区婦人部長)

 勾配のある住宅街をバイクで駆け上がると、朝日に照らされた街並みが一望できる。使命の天地で、“無冠の友”を11年。
 次男の出産後に、耳下腺の腫瘍を摘出。その後も健康に過ごせる喜びを胸に、PTA会長や“保健室登校”の児童・生徒を支える地域コーディネーターとして尽力するようになった。
 多忙な日々を、はつらつと前進できるのは“配達から一日を出発できるおかげ”と、爽やかな笑顔が輝く。

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【山口】防府栄光圏・中関支部 清水としえさん(婦人部副本部長兼地区婦人部長)

 配達員歴26年。今年の年始に、改めて決意をした。「“絶対無事故”のため、朝、しっかりと勤行・唱題をしてから配達しよう」と。
 交通ルールの順守や、周りから見えるよう首からライトを掛けるなど、基本を大切にしている。「年を取ると“うっかり”が増えてしまいますから」
 地域に根差し、聖教新聞の購読も推進。現在は、聖教電子版の活用にもチャレンジ中だ。「配達のおかげで体は健康。夫の協力にも感謝です」と笑顔で。

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【香川】東かがわ圏・大勝支部 澤田治美さん(支部副婦人部長)

 配達前、必ず御本尊の前に座り、題目を。絶対無事故を祈念して配達に向かう。
 「家に帰ると勤行・唱題をしながら、池田先生に無事故の報告をしています」
 配達を始めて34年。師匠の「無冠の友」への励ましが人生の糧となり、地区の同志と励まし合いながら、さまざまな苦難を乗り越えてくることができた。
 7月には友人と一緒に先生の会長就任60周年記念映像を視聴。これからは、後進の育成を決意している。

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【鹿児島】南海圏・東和泊支部 中村絹枝さん(支部副婦人部長)

 配達員歴9年の中村さんは、沖永良部島の北側の湾岸地域で配達する。正午に船で届く本紙をバイクで配っている。
 「毎日、“池田先生のお手紙”が届けられる誇りと喜びでいっぱいです」
 7年前に島を襲った台風で、中村さんの家は全壊の被害に。だが“今こそ宿命転換のチャンス”と祈り、配達も一歩も引かずに続けた。同年、自宅を新築することができた。
 「10・30『沖永良部島の日』を信頼の拡大で慶祝します」

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【沖縄】八重山県・大磯支部 藤渕松一さん(ブロック長)

 石垣島・宮良地域の配達を担う藤渕さん。定年退職を機に妻から配達を継ぎ、代配を含めて、今年で配達員歴20年を迎えた。
 5年前、長年人生を共にした妻が子宮頸がんと診断された。回復を祈り続けたが、2年前、帰らぬ人に。同志の励ましと池田先生の指針を支えに、藤渕さんは悲しみを決意に変え、進み続けている。
 「皆さんと先生の心を結ぶ懸け橋に」――妻からバトンを受けた“無冠の友”の使命を胸に、今日も八重山広布の一歩を刻む。

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