穏やかな冬晴れだった1月10日、母の葬儀が行われました。


母が家で過ごす最後の朝。体がここから無くなる事が信じられず実感がないまま一日が始まりました。


時間になると、棺が家の外へ運ばれました。父、兄たちが棺を運び霊柩車の中へ。

あっという間に母は家の中から居なくなってしまいました。


式場までは家族はバスで移動をしました。

式場に着くと、受付横に立ち弔問客へご挨拶。

親族や父と兄の会社関係、新聞掲載を見て来られた一般の方、とてもたくさんの方々が来られました。

わたしの友人も何人か来てくれました。


親族以外に母の病気のことは話していなかったので、みんな急なことに大変驚かれていました。


母の祭壇は立派に花を飾りました。家族で出来る最後の親孝行です。親族の方も立派な生花をあげてくれ、たくさんの方が弔電を下さいました。


わたしの心は、現実を受け入れている部分と信じられずにいる部分が混在していました。


棺の中にたくさんのお花とお手紙、写真を入れました。父、私の姪、甥、子供たちもお手紙を入れました。親族もそれ以外の方もお花入れをして下さり、母とのお別れをしてくれました。


母に触れる最後の時間。母の頬を撫でお別れをしました。涙が溢れて止まりませんでした。


精進落としの時間、従姉妹や叔父叔母たちとたくさん話して過ごしました。

母はやっぱり明るくて、おしゃべりが大好きで太陽みたいな人でした。


あっという間に収骨の時間になりました。

骨転移もなくしっかりとしていたせいか、骨がしっかりと残っていました。


骨になった母を見ても涙は出ませんでした。

とにかく実感がなく、他の人の人生を覗いているようなそんな気分でした。


お骨を兄が持ち、父が位牌を持ち自宅に戻りました。

朝まであった母の体はもうありません。

でも、形が変わっただけで母のお骨があるから、思っていたほど寂しく感じませんでした。


自己満足ではあるけれど、家族で立派に葬儀を行えてきっと母も喜んでくれていると思います。


悲しさや寂しさも大きいけれど、やり遂げた達成感というか安堵というか、、、少しだけ穏やかな気持ちがあることも事実です。


でも本当は母と一番話したいです。

👩今日の葬儀、⚪︎⚪︎さん来てくれていたね!

👩どこどこの社長もいたね。お兄ちゃんの仕事仲間みたい。

👩〇〇社からも弔電きてたね!すごい数だったよね。

👩子供達、静かにいい子に出来てたね!



お母さん、ちゃんと見ていてくれたかな?

体はなくなったけれど、心はいつも一緒だよ♡

見えないけれど、心はいつも一緒だから寂しくないよ♡これからもずっとずっと一緒にいようね。