今日は私の大好きな祖母の命日です。
祖母は2020年に96歳で亡くなりました。
(父方の祖母の話です。母方の祖母は97歳まで生きてくれました)
祖母とは同居だったので思い出がたくさんあります。私が保育園時代は祖母がたくさんお迎えに来てくれたし帰宅したあとはいつも祖母の部屋で遊んでいました。
小学生の頃、習い事をサボりたい私を母からかばってくれたり、忘れ物を小学校まで届けてくれたり。
中学、高校時代は車で送り迎えもたくさんしてくれました。85歳まで運転をしていました🚗
気持ちがとても若々しく、新しいことや楽しいことが大好きな祖母は、当時ギャルだった私のつけまつ毛をつけて15センチの厚底ブーツを履いて遊んでみたり、お茶目なところもたくさんありました。
二人でカラオケにもよく行ったし、そのあとスイーツ食べてお茶したり恋バナしたり、60歳近く年は離れているけれど友達みたいなおばあちゃんでした♡
いつも祖母の部屋の引き出しにはお金がたくさんあって、学生時代は
「ここから好きなだけ使ってねー」と言ってくれていました。
祖母は92,93歳頃に施設に入ったけれど、それまで私にお小遣いや結婚祝い、ひ孫のお誕生祝いなどもたくさんくれるリッチなおばあちゃんでした。
祖母自身もすごく人生を楽しんでいました
50代から85歳からまでの習い事は
お料理教室
スイミング
盆栽
詩吟
俳句
カラオケ
社交ダンス
グランドゴルフ
と、本当にたくさんの趣味があり毎日、習い事や趣味に大忙しでした。
体も元気で、ずっと永遠の70歳みたいな感じだったので、実年齢と比例しておばあちゃんになれない部分もありました。
例えば、段差を飛び越えたら思い切り転んで怪我をしたり、運転も問題なく出来るつもりなのに追突事故を起こし85歳で私の父に免許を取り上げられてしまったり。
でも私にとってはいつも元気で若々しいおばあちゃんで、私も祖母みたいになりたいと憧れの存在でした。
ただ、母にとっては違う部分もありました。
同居ですが、家事は基本やらず母が毎日祖母の食事のメニューも作り、お盆やお正月は娘(私の叔母)が家族で10日位泊まりに来るので母は一人でひたすら食事作り。
昔の人なので、嫁である母には厳しく、意地悪?な面もあったようです
確かに祖母はとてもワガママで気が強いところがありました。
それでも母は祖母が施設に入るまで、何があろうとも祖母を第一にお世話をしてきました。
母は自分のお母さんが亡くなる日も、ずっとそばに居たかったけど、姑である母が気になり食事作りのために帰宅したほどです。
祖母も90歳近くなると、ほんの少しだけ認知もあり、より強く母を攻撃したりトイレに間に合わず粗相する事も増えたようでした。
全て母は受け止め頑張ってお世話をしました。
そのストレスと頑張りは計り知れないです。
母は3年前に祖母を天国に見送り、
「ようやく自分の事だけに向き合える時間が出来た。今がいちばん自由で幸せ」
と言っていました。
これから20年、母の第二の青春?黄金時代が来るはずだったのに今年の4月に癌宣告、、、
神様、これだけ苦労して家族のために頑張った母にご褒美の時間はないのでしょうか。
と思ってしまいます。
話がまたそれてしまいました。
今日は大好きな祖母の命日です。
おばあちゃん、天国からお母さんを応援してね!まだまだ元気でいられるように力を送ってね。
お母さん、今まで家族のためにずっと一生懸命だったんだから、ご褒美タイムあげてね。
そして96歳まで大往生してくれてありがとう。
おばあちゃんが長生きしてくれて私は本当に嬉しかったよ。長く一緒にいられて幸せでした。
たくさんたくさん可愛がってくれて、遊んでくれてありがとう😊
これからも毎日、想います♡
おばあちゃん大好きだよ。