私と母の関係


大袈裟だけど、世界一だと思っています。


私にも娘がいて、よく子供は分身とか言うけど私にとって母親も同じです。


私は幼い頃からママっ子でした。どこに行くのも必ず着いて行き6年生まで同じ布団で寝ていました。どこに行くのも着いて行くのは今でも変わらず、実家に帰ると近所のスーパー、コインランドリーどこでも着いて行き他愛もない会話をするのが楽しみの一つです。


母は大学卒業後、教師をしていました。結婚相手の父の家が江戸時代からある商売をしていた家庭だったため、数年後教師を辞めて、一緒に父と働きました。

私の祖父母(父の父母)と同居だったため、それなりに苦労も多かったです。

祖父が入院中は、寝ずに病院に泊まり込みで看病していました。祖母は93歳まで自宅にいたので毎日3食必ず作ってあげていました。祖母は今から3年前に亡くなったのですが、施設に入ってからも本当の娘以上にお世話をしていました。

家族思いの母です。


私には兄が2人いるのですが、私が10歳の頃から兄は反抗期に入り、母の気苦労を隣でずっとみていました。そのせいか私には反抗期は特になく、母と一緒に兄の反抗期を見守っていました。


母はいつでも私を信じてくれていました。学生時代から私は母に隠し事などなく、なんでもオープンに話せる関係でした。今も変わらないです。


私の夫の実家は、私の実家と少し色が異なるのですが、結婚したいと話した時も「これからの時代は家柄よりも、本人の人間性だよ」と本来の彼を信じてくれて賛成してくれました。父もです。

母はいつも私の味方でいてくれて信じてくれています。


就職後、別々に暮らしてもこの20年近く毎日何度も電話で話し、毎月必ず帰っています。

「今何してた?」

「聞いて、今日こんな事があってね」

他愛もない会話も多いし、小さな事でも悩んだり判断に迷った時は必ず母にアドバイスを求めていました。

母の声を聞くといつだって元気が湧いてくるし、温もりを感じて幸せな気持ちになります。


もう40歳なのにまだまだ母が必要です。

子育てのこと、料理のこと、夫婦喧嘩のこと、聞いてほしい話がたくさんあります。


私の40年はずっと母と歩いてきました。

これからも20年以上そのつもりでいました。


今はまだ未来に不安でこころが落ち着かないけれど、この関係がずっとずっと続きますように。

母とお腹の底から大笑いできる日がきますように。

どうか母の癌細胞が小さくなって消えてなくなりますように。

今は毎日、祈るばかりです。