月の終わり、ふとアプリの明細を眺めていて、少し黙ってしまった。

音楽、動画、ゲーム、AI、ニュース、それぞれは数百円なのに、並べるとそれなりの数字になっている。

月500円というのは、感覚的にはかなり安いし、ランチ一回分にも満たないくらいだから、契約するときは「まあいいか」と思えますよね。

 

でも5つも重なると計2,500円、10個になると5,000円を超える。

それが固定費として、毎月引き落とされていくわけ。

 

痛いのは、一発の大きな出費より、じわじわ続く小さな引き落とかもしれず、節約というより、なんとなく消耗している感覚に近い。

 

そもそもサブスクのやっかいなところは、金額より「使っていないのに払っている状態」が発生することで、ゲームのサブスクに入ったのに、今月ほとんど起動しなかった、動画サービスに加入しているのに、結局YouTubeしか見ていないなんてこともあったりする。

 

とはいえ、使わない月があっても、解約するほどでもなく、その微妙なラインに、サービスたちは自然に居座っていますよね。

 

「いつでもやめられる」はずなのに、やめるタイミングだけが妙に曖昧になり、解約ボタンはあるのに押さない。

 

そうしてまた一ヶ月が過ぎていく。

 

SNSで「サブスク棚卸しした」という投稿を見かけることがあって、全部書き出したら意外と多かったとか、3つ解約したら月3,000円浮いたとか、あれが共感を集めるのは、節約ノウハウというより「自分だけじゃなかった」という確認に近いからだと思う。

 

気づいたら増えていた。なんとなく払い続けていた。

みんな同じような感覚を抱えていた。その安心感がある。

 

「棚卸し」という言葉の選び方も少し面白いし、商品在庫を数えるみたいに、感情ではなく、淡々と現実を確認する響きがあっていい。

 

便利さの代償は、「選ばなくてよくなる」こと

サブスクは、「選ばなくていい」を売っているわけで、月額を払えば、あとは好きなタイミングで使えばいい。

 

それはたしかに便利だけど、その便利さが「自分が何にお金を払っているのか」という感覚を少しずつ薄くしていく。

 

都度購入なら、買う瞬間に「これを選んだ」という意志があるけど、サブスクの場合、自動で払い、自動で続き、自動で維持される。

 

もちろん、それ自体が悪いわけではないし、ただ、気づくと自分の消費の輪郭が少しぼやけてきてしまいます。

 

ときどき、もう全部解約してしまいたい、という気分になったりしませんか?

 

あれは単純なお金の問題だけではない気がして、たぶん、自分のまわりを囲んでいる「継続中のもの」の多さに、少し息が詰まっている気がする。