どうも!ごましゃ豚野郎です
今日は天気も良いことから
僕の愛車じぇべるくんのプラグを調整してみました!
昨日どんなにキックしても、押しがけしてもかからなかったじぇべるくんですが、
原因はおそらくプラグであろうと思い、車載工具でプラグを抜いてみた!
するとどうでしょう!
ほら!
ほ~らほら!!!さて、コイツの汚れた部分をブラシとかでフキフキして
ライターであぶります。
そんで火花が飛んでるかチェック!
プラグに触れてないのになぜか感電。。。
これはあとでメカSさんに聞いてみよう!
抜いたプラグをもとに戻してキックしてみる・・・・
すると、、、、
「ごましゃぶさんサスガっす!!!」
って歓声が画面越しからも聞こえてくるのがわかっちゃってますよ!
さて、無事じぇべるくんが復活したんですが、
おいらにも山の師匠、キャンプの師匠、バイクの師匠なんて人達がいるわけで、
今のバイクの師匠はメカSさんなんですが、
おいらにバイクのイロハを教えてくれたのは・・・・
イザワ先輩はとにかくスゴイ!!!
が口癖のイザワ先輩。
イザワ先輩との出会いは中学だ。
とにかくバイクの知識がスゴイ!
中学生なのに自分ちの庭でバイクを乗り回す強者だ。
庭と言っても農家なのでとにかく広い!
プラグやキャブのことも色々教えてくれた。
押しがけやクラッチのつなぎ方なんかもイザワ先輩が教えてくれた。
なんてことをいつも言っていた。
当時のおいらはは「ゼッツーってなんだ?」
「FX?織田裕二?目薬か?」なんて知識だった。
車種のこともいろいろ教えてくれた
バブとかザリとか。あとXJRのことはペケジェイとは言わず
なぜか「エッコジェイ」と言っていた。
ケッチとかサンパチとかとにかく知識がすごかった。
「あたりめぇ~だよ。バイク、好きだからよ」
「カッコイイッス!」
「ほら、これ読め。」
渡された一冊の本。
中学自体とにかく本に穴が空くほど
読みふけった。
そういう苦い思い出もあるが
イザワ先輩はすごかった。
イザワ先輩の家に行くと、
とにかくどこから仕入れてきたかわからない
バイクのマフラーとかがたくさんあった。
「どうよコレ?カーカー(マフラー)だぞ!しぶいべ!!」
「このビートッパネ(BEETのはね)ヤベーべ?」なんてことを良く言っていた。
イザワ先輩の家から帰るときには
「あぁごまぶた、これ、もう必要ねぇーからやるよ!」とえっちな本もたくさんもらった。
今思えば処分に困っていた本を僕に渡していただけなのかもしれない。
イザワ先輩は1つ上なので
僕が中学3年になると同時に卒業していった。
僕が中学3年になると同時に卒業していった。
「やっぱゼッツーダベェ」が口癖のイザワ先輩だが、
先輩が最初に買ったバイクはNSR50だった。
他の先輩達は旧車ブームということもあってか
化石のようなバイクに乗っている人が多かった。
僕にも怖い先輩から
「このCB譲ってやるからよ。今のうちバイトしとけ!」なんて言われたこともある。
「いくらっすか?」
「70万」
当時は「豚野郎だからと言って足元みやがって!!!」
なんて思いながら丁寧にお断りした。
あとで聞いた話ではそのCBはフルBEET仕様と言うこともあるが
さらに上の先輩から90万で個人ローンという特殊な売買で
買ったバイクだったらしい。
買ったバイクだったらしい。
さて、肝心のイザワ先輩はと言うと
高校を中退し、Z2からは程遠いNSR50を
「いいかげんにしろ!」というほどカスタマイズに夢中だった。
最初はノーマルだったNSR50だが、気が付けば
火の玉カラーのような塗装になっていた。
やはりゼッツーは諦めてなかったと思う
最初はノーマルだったNSR50だが、気が付けば
火の玉カラーのような塗装になっていた。
やはりゼッツーは諦めてなかったと思う
そんなこんなで僕も中学を卒業すると
自然に地元の人間とは疎遠になり、
高校の友達とつるむようになった。
バイクの次に来たごまぶたの第二次ブームは
バンドだった。
とにかくバンドをやればモテると思い、
最初にギターを買った。
バイクの次に来たごまぶたの第二次ブームは
バンドだった。
とにかくバンドをやればモテると思い、
最初にギターを買った。
中学では笑われ者だったごまぶただったが、
高校ではバンドに夢中になり、
モテモテの高校生活を送る予定だった。
しかし現実はそう甘いわけではなく
気がつけば登校拒否という現実だった
登校拒否になってからというもの、
担任の先生が熱心に家に来てくれた。
文化祭とか修学旅行とか重要なお知らせを持ってきてくれた。
「早く学校に来れるようになるといいな」
といつも言ってくれた。
優しい先生だった。
いじめられていたわけではない(と思う)が、
特に理由があって学校に行かなかったわけでもない。
何が不満かわからずに
何かに反抗したいだけの気持ちで
その形が登校拒否という形になったのだと思う。
そういう答えの無い話を担任のO先生は
いつも真剣に聞いてくれた。
いつものように目をつぶりながら
僕の答えの無い話を真剣に聞いてくれていたある日、事件が起こる。
「とにかく自分でも良くわからないんです」
「○○も○○も無意味なだけじゃないですか?」
「だってそうでしょ?」
「ねぇ先生どう思います?」
あれ?
寝てる?wwww
眉間にシワを寄せ、目をつぶりながら
真剣に話を聞いてくれてると思っていた優しいO先生。
まさかの寝てただけと言うオチ
登校拒否がさらに悪化した
結局顔を合わす相手といえば、
両親と心配して見に来てくれる寝太郎O先生、
それとコンビニの店員、
と、電話でたまに連絡があるイザワ先輩だ!
家に行くこともちょこちょこあった。
イザワ先輩は高校を中退してから家の仕事を手伝っていた。
手伝っていたといっても手伝っているところを見たことは無い。
イザワ先輩は高校を中退してから家の仕事を手伝っていた。
手伝っていたといっても手伝っているところを見たことは無い。
家に遊びに行くといつものように
「あぁごまぶた、これ、もう必要ねぇーからやるよ!」
それがきっかけかどうかは分からないが
地元の友達と疎遠になるのと同じように
イザワ先輩ともどんどん疎遠になった。人から聞いた話だと
ツナギ姿で峠をNSR50で駆け抜けていたとか、セブンレブンの駐車場で怖そうな人に土下座をしているのを見たとか、
原宿系に目覚めたと言って全身タイツで普通に電車に乗ってたとか様々な噂が飛び交った
それでもイザワ先輩はスゴイ。
イザワ先輩はすごい。。。




