華厳は六界を描く

 欲界 天界もまた六欲天であった   

  四王天・忉利天 ・夜摩天・兜率天 ・楽変化天・他化自在天 

 

  多聞天(毘沙門天)、持国天、増長天、広目天

  須弥山の頂上、帝釈天 天部や神々が住むとされる地

  死者が往くべき光明と歓楽

  彌勒菩薩が住するとされる 菩薩修行の場 お釈迦様はここから人間界に降下したとされる

   すでに自由を得て 意のままに相を表そして他化自在天 何故に波旬 破壊神のシバに結び付く 因みにシバ神は色究竟天の天王である 

 

  「深く寂滅の法に入りて、悉く化の如しと諦了し

   ………

   ………

   明らかに三世の仏は、一切悉く化の如しと解り

   無量なる本の行願にて、もろもろの導師を化成す」

                        ー普賢菩薩ー

 

 六十華厳にあっ六欲天 七処八会 三十四品 菩薩の修行の場であった

 四禅天を経て法界に至る 仏道にあって涅槃とは法の世界であった

 法の世界とは 善財童子は楼観の中に自ら其身を見 

 

   仏教における華厳の位置

 空海の『十住心論』 華厳は法華の上位 第九住心に位置する そして真言の世界である 

 

 摩竭提國尼連禅河菩提樹下寂滅道場 釈尊正覚のとき

 盧舎那仏の台座に描かれている三千大千世界 「蓮華蔵世界海図」が開く

 蓮華蔵世界海 そこに仏国土が浮かぶ

  まさに華厳開く世界であった

  「もろもろの金剛力士

   もろもろの道場神

   もろもろの龍神

   大地自然の神々

   アスラ、ラーフラ、キンナラ 魔界の王

   三十三天王・夜摩天王・兜率天王・化楽天王・他化自在天王 地居天・空居天の

 天王

   もろもろの天子が

   お釈迦様の座に集まり

   お釈迦様の正覺を喜び礼賛した」

 

 十二因縁は無常と四苦にあった 無の逆進にあって等覚であった

 無無明である

 

  無無明は何を意味するのか

 

  明らかではないことから行・識が始まった そして名色・六処

  そして無の逆進 無無明 明らかでないということもない 

  なにが明らかではのか すでに認識の客体は無いのである

  すでに行・識・名色・六処はないのである

  何も無いと認識するあなた自身も無いのである

 ただ

 「無量にして思議し難き彼の心、一切の色を顕現して各各相知らず」

                      ― 華嚴経 [夜摩天宮菩偈品]―

  「三界は虚妄にしてただこれ一心の作(さ)なり、十二縁分はこれみな心による

                            同上 「十地品」

  心とは何か 仏教におけるその概念規定は無い 解釈とその選択

  華厳経を『唯心偈』に理解する向きがある

  しかし「心」とは何かが明示されない

 

  「心」において華厳経は肯定の論理である

  一切の肯定 悉皆仏性 仏の一心である

  龍樹から世親へ 「唯識論」 十二縁起論において「識」は述べられている

  識にして「名色」であった

  ただ無の逆進において「名色」も「識」もない

 無にして空の論理

 

  非有想非無想の無色定處にあって法界である 場の論理 空である 

  その位置のおける意味とは何か 格子場とゲージ理論

 龍樹は 空の義 相依・相待とした 相依・相待にあって法である

 無自性

  不完全性の極限の揺らぎ 量子のもつれをどのように解釈する?

 

 論理的理解の困難

 そこにウィトゲンシュタインの言語遊戯があった

 朗々とタゴールの詩の朗唱があった 「いのち」の賛歌である

 「い」は「ち」の上に喜びも悲しみもある

  そして喜びも悲しみも共に「いのち」の賛歌である

 一切は等しく仏の心にある それが華厳経であった