すでに般若を諳んじて空 空の自由 若者時代の勝手な振る舞い

 教師からすればもっとも嫌な秀才生徒だ 物語り

 悪童仲間、姿を消しての宮廷での女官犯し。

 宮廷側、砂を撒いその足跡を追った。一人、王の後ろに隠れて斬死を免れる。

  二世紀 南インドのヴィダルバのバラモンの出身 その伝記はいろいろあるが

  若年にして諳んじたもの バラモンが唱えてい四ヴェーダとされるが

 敢て般若の空と龍樹を結びつける その空の若者的解釈 空なるが故に自由があった

 

 しかし現実には仲間の斬死 一人生き残って何を思うか

 仲間それぞれの存在 その消滅とたったと一人の生き残り 

 その自責の上に無自性の自己否定論理はあった 

 傲慢勝手だった吾れ 仲間があっての吾れだった

 無常としての諦観 縁起の法である

 「能説是因緣 善滅諸戲論  我稽首禮佛 諸説中第一」

 「中論」の最初に書かれる 亡き仲間への弔辞 (私の勝手な推論)

 

 上座仏教 無常を論じながらも律による常在を求めた

 安心立命(あんじんりゅうみょう)である

 そして等覚 縁起の法の上にあった その縁起の無の逆進 無無明である

 しかしそのための八正道 律を踏まなければならない

 モーゼの契約説 掟である

 しかし何故か 龍樹の『十住毘婆沙論「易行品」

 あの秀才生徒が四苦の徒としての他力による浄土信仰

 

 龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信

 親鸞は愚禿である

 龍樹は異才の頭脳の持ち主 愚禿の親鸞との結びつき

 親鸞は衆生の中にあった しかし龍樹は衆生の外 あえて衆生を説く

  円座にあって完結 しかしその座に描かれるのは事象の走馬灯

 縁起にして依他起性であった 

 

  私の龍樹 その名の如く 大いなる龍であり 大樹である

 『中論』 皮肉屋の才知とその洞察力

 その龍樹の『十住毘婆沙論』 衆生が語られる そして「易行品」 

 私はむしろ上座仏教にあって禅座して止観

 「尽十方界無一人不是自己」万象の流転の走馬灯はその内にある

 しかし空の義 相依相待に法が成った 衆生の発心  

 皮肉屋の異才 龍樹菩薩と称せられる