ガリアとゲルマンの民にとって ローマの都市文明と都市文化は目を見張る豪華さであった

 皇帝は力を失い 残るのは教会と法王庁

 法王の神の代行者としての権威 王権神授説にガリアとゲルマンの諸侯はそれに従ったのである

 ゲルマン騎士団の神聖ローマ帝国 ガリアとゲルマンはローマ法王庁に隷属した

 集落・都市の中心部には教会とその尖塔

 魔女狩り それはイエス・キリストの教会ではなく 司祭の教会であった

 

 本来牧師・僧侶は神仏に仕える従者 そして神仏と衆生の中継ぎである

 牧師・僧侶に何ら権威はない

 ただ行者としてあるとき その徳によって導者となる

 導者は導くものであっては支配する者ではない 徳はあっても権力は持たない

 真言密教の加持祈祷 魔性の断裁であっても 信者そのものに関わるものではない

 信者 ただその信仰によって道を歩む

 

 日本神道では天津神と 国生みのその司神-国津神

 土地神にあって豊作と豊漁、家族安泰の祈願 その感謝の祭り 神官はその祭祀を司り 神と人との中継ぎをする

 地方には地方独自の神社がある 地縁神 

 土地土地にあって安寧と繁栄

人口移動によってその観念は薄れたが 氏神・産土の神でもある 

 その集合としての国の安寧と繁栄  官幣大社は別格としてあった

しかし宮司 直接政治に関わることはなかった 

 

  キリスト教にあって西方教会と東方教会 聖書の解釈によって流派の派生がある

  大きくカソリック教会とプロテスタント

  問題を犯したおかしな韓国の統一教会 キリスト教としての発足である

  カトリック司教団は1985年の段階で 「キリスト教ではない」との公式見解を表明しているが

  聖書の解釈と教会の制度の異なり 

  アウグスティヌスの自由 法然の「選択センチャク」

  法然の「選択センチャク」が正しい 信仰の在り方の選択である

  しかしキリストの福音ではなく 唯一絶対の神の裁き(二項対立)となるとき  イスラーム帝国  

 

  欽明天皇 大伴金村と物部尾輿が大連 蘇我稲目が大臣 

 任那府と百済 大伴金村の失脚 新羅の辰韓弁韓の領有 その中での仏教伝来である   

  日本最古のお寺は蘇我馬子の法興寺とされる 法興寺ー元興寺飛鳥寺  

 物部守屋との激しい対立の後に 蘇我馬子は皇室の外戚としての地位 物部氏を滅ぼした

 そして法隆寺

 国としての仏寺は聖武天皇の国分寺・国分尼寺 そして東大寺であろう

  東大寺 南都六宗の学問所としてあったが  国と民の安寧  大仏-盧舎那仏 華厳である

  仏像礼拝であり 読誦は帰化僧の主導 僧侶の地位は規制されていた

  行基 諡号ー行基菩薩

  行基の弟子-真成 『大僧上舎利瓶記』に

  「俗性は高志氏にして、その考(ちち)の諱は才智、字は知法君の長子なり。もと百済国の王子-王爾のすえなり。その妣(はは)は、蜂田氏にして、諱は古爾比売、河内国大鳥郡の蜂田首虎身の長女なり」

 

  聖徳太子の『三経義疏』(法華・維摩・勝鬘)があるが

  それよりも聖徳太子の十七条憲法

  「篤く三宝を敬へ」 仏教を国教とする宣言に等しい

  そして制の冠位十二階 

 しかし

 「一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。

 「十七曰、夫事不可獨斷。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事、若疑有失。故與衆相辮、辭則得理。」

 大和心(やまとごころ)が示される

 「隋書」に書かれた遣隋使の国書

 「日出処天子致書日没処天子無恙」 

 国としての矜持は保たれた

 百済を守るための新羅侵攻 高句麗好太王の碑文

 最後に白村江に敗れたが 飛鳥‐白鷗‐天平時代 万葉集の時代でもあった

 

 仏教は縁起の法 八正道であり 苦集滅道である

 キリスト教は懺悔と救済であり イスラム教は裁きである

 神道は直霊にあって随神の道

 儒教は教えと学びであり 道教は無為にして自然である

 慈悲であり 愛であり 清浄であり 義である

 唯我独尊 二項対立 二極対称の和

 量子コンピューターに量子の表裏があった

 

 或る宗教家が言っていた 「己れの内に神を求めよ」

 己れの神であり そして包括神である

善財童子………彌勒菩薩の威神力の故に、もろもろの楼観の中に自ら其身を見る。

 私は私である 土地神があり 天象地象の司神があった

 しかし「或は四天王と為り………或は帝釋と為り………或は夜摩天王と為り………

 一切は仏の化であり 一心の作であった

 

 江戸時代の武士道は朱子学 庶民にあって仏教は心の中層であった

 神道は年事のまつりごとであった

 普通の家庭にあって仏壇 神棚は少数派であった

  しかし私は

 ミンコフスキー時空にあって一点の観測者 時間の縦軸に空間の横軸 

 そして横軸の広がりに事象の地平面を見る 

 人にあっての神仏の事象 足元に地球 天空に宇宙の広がり

  「揺らぎ」 揺らぎによる対消滅 ヒッグス場によって現象世界が出現したが

 高御產巢日・神產巢日にあって「ひ」の系である 随神の道にあって中今 

 ただ 回転と軸の傾き ライプニッツの「神による調和」を願うが

 重力波と空間の歪み 揺らぎの余波 どこかで爆発の閃光と炎が上がる