聖母マリアを包む薔薇の花の輪が 天使の群霊であったように
 曼茶羅において 大日如来を 沢山の仏が囲繞するように
 薔薇の花の輪の中のひとりであり
 囲繞する仏の中のひとりであり
 そして充分に己れ自身に生き切った者のみに 許される席

 薔薇の花の輪は 愛を称えて荘厳に和唱し
 曼茶羅の諸仏の位置は 断固として不変である

 そのように固定されてあるかのようだが
 下方に 光りの帯が変化して流れ
 宝石の耀きに 多彩に色は光り交じわり 
 しかもそれぞれの色に明らかである

 光りの帯びの上に
 時の三女神が手をとりあって踊っていた
 それは過去であり 現在であり 未来であり 
 指先の触感のリズムが
 色・受・想・行・識の法を描き
 見つめ合った眼(まなこ)は
 生・病・老・死への慈悲を表していた

            ◇         ◇

 「無量にして思議し難き彼の心、一切の色を顕現して各各相知らず」
                        ― 華嚴経 [夜摩天宮菩偈品]―
 「三界は虚妄にしてただこれ一心の作(さ)なり、十二縁分はこれみな心による」 
                               ―同上 「十地品」―
 諸仏は悉く一心の作であり 心はもろもろの如来を造る
 一切は心より轉ずと了知する

 すでに行生じ 識生じ 名色生じ 六處生じ 触生じ 受生じ 愛生じ 取生じ 有生じ 生生じ 老死生じ
 すでに時は過ぎ 時は重なり
 他化自在天宮において 普賢菩薩は説いた
 「深く寂滅の法に入りて、悉く化の如しと諦了し
 ………
 勝地に菩提を修し、随順して化の如く行じ
 ………
 衆生の類と、及び無量の行業とは
 平等にして悉く化の如しと了知す、解脱もまた是の如し
 明らかに三世の仏は、一切悉く化の如しと解り
 無量なる本の行願にて、もろもろの導師を化成す」
                             ―華嚴経 [十忍品]―

 離は喜楽を生じて初禅に入り
 定は喜楽を生じて二禅に入り
 念慧を成就し 常に念じて三禅に入り
 捨を行じ浄を念じて四禅に入り
 すでに一切の色相を過ぎ
 無辺の虚空を知りて 虚空無色定處に入り
 やがては非有想非無想の安隠を知り 
 非有想非無想の無色定處に入る


 ダルマは時の論理である

 ここに ビック・バンよりの 宇宙の時間があり
 島宇宙の時間があり
 恒星系の時間があり
 個々の衛星の時間があり
 個々の生命種の時間があり
 それぞれの運動の軌道に従って 回転する
 個々の生命種は その處の条件に従って発生し 成育し 生存し 死滅していった
 生きることの闘争と 苦痛と 安楽と 快楽と
 六趣の輪廻に 時間は流れていった
 阿頼耶識は その一切を記憶していた
 その苦集滅道は菩薩の本願行である
 
 ダルマの帯が流れている
 地球の上を 地球のダルマの帯が流れている
 時間の占用する幅に流れている

 如来の慈悲は 三千諸仏によって具布される
 如来の慈悲は 三千諸仏のそれぞれの一心の願いであり 祈りであり
 そのように ダルマは具象界の上を巡った
  

 無相心三昧を具足して住して 如来の身体は安泰と雖も
 ヴェーサーリーのベールヴ村の 齢八十となった世尊の身体は
 古き車が 革紐の助けによって長らへるが如く になった 
 何を以て この身体を虚空となすか
 
 仏の本の行願において 無量の菩薩埵この身体のなかに化をなすが故に この身体を虚空となす
 虚空なれば 化の智海決定し 
 虚空なれば もろもろの障礙 除滅し
 虚空なれば 生も無く 滅も無く 平等に諸法を観ずる

 静坐観の菩薩は 一念に観じていた
 その一念に ダルマの帯を観じていた
 事象が時の流れに乗って 因縁果を連ねる
 何を以て一心となすか
 何を以て化となすか
 しかし静坐観の菩薩の一念には ダルマの帯とともに流れる個々の十二縁分が見えていた
 個々の心であり 意であり 情であり
 そして 個々の傷付き 悲しみ 悩み 苦しむ姿が見えていた
 だから餓鬼であり 地獄であり
 だから個々の衆生の済度のために一心 如来の慈悲となり 三千の諸仏となり
 菩薩またその化の如し
 キリストは 一匹の迷える羊を 連れ戻すために野に追った


 「善財童子………彌勒菩薩の威神力の故に、もろもろの楼観の中に自ら其身を見る。
………或は四天王と為りて一切衆生を饒益し、或は帝釋と為りて五欲を呵責し、或は夜摩天王と為りて不放逸を讚じ、或は兜率天王と為りて一生の菩薩の功徳を讚歎し、或は化樂天王と為りて自在の法を讚じ或は魔王と為りて無常の法を説き、或は他化自在天王と為りて菩薩の荘厳せる化身を讚歎し、或は梵王と為りて四無量心を讚歎し、或は阿修羅王と為りて………、或は閻羅王と為りて………、或は畜生と為りて種種の身を受け、為に法を説きて其癡闇を除き、………。或は変化三昧を正受して、一一の毛孔より化身雲を出したまひしをみる、謂ゆる天身雲、もろもろの竜、夜叉………聲聞、縁覚、如来身雲なり。………」
                     ―華嚴経 [入法界品第三十四之十六]― 
かくして善財童子は 一心の菩提心なるを解り 化のまた菩提心の変化三昧なるを解り
 「普賢の行ぜし所のもろもろの大願海を究竟し、………一切仏と等しく、一身一切の世界に充満し、刹も等しく、身も等しく、行も等しく、正覚も等しく、自在力も等しく、………仏の所住も等しく、大慈悲も等しく、不思議の法門自在力も等しかるべし。」
                     ―華嚴経 [入法界品第三十四之十七]―

            ◇ ◇

 ひとりひとりの天使の心の中に 光りの帯が流れ
 一体一体の仏の中に ダルマの帯が流れ

今の明るさの中に 
 それぞれは それぞれの完成された表情を持っていた


 神を褒めたたえよ
 それは全き今への賛歌でもある
 宇宙の始まりであり 宇宙の終わりであり その澄浄である
 1994.4.15