時間とともにあるものは存在者である

 太陽は自らの時間とともにある
 地球は自らの時間とともにある
 月もまた自らの時間とともにある
 金星も
 木星も
 土星も
    自らの時間とともにある
 そして全体が太陽系の時間とともにあり
 銀河系の時間の中にある

            ◇         ◇

地球を取り巻くダルマの帯
 太陽系を取り巻くダルマの帯
 銀河星雲を取り巻くダルマの帯 
 
 古代の人はそれを天則と名付けた

地球ダルマの帯の上に
 私は手をつないで踊る三柱の女神を見た
 
 ボッティチェリの『春』は素晴らしい
しかし私の「三女神」は
ギリシャの天界 ゼウスの神の位界に属するラケシス・クロートー・アトロポスの三姉妹ではなく
過去・現在・未来の平等にあった

ダルマの帯は宝石の川のようにキラキラ輝きながら流れる
その流れの上を 過去・現在・未来の三女神は 手をとりあって踊っていた

           ◇         ◇

私は ダルマの帯の上に静座観の菩薩を見た
 何故に菩薩だったのか
 苦があり 苦集滅道があり
 悲があり 慈があり
 
 その観想の中にダルマの帯があったのか
 
 ダルマの帯は愛の粒子でできていた

           ◇         ◇

 私の回転木馬が止まったとき
 なお私の業 私の種の業は重く
 私は助けて下さいと叫ぶ

 かって私は述べた
 念により凝集体は形成され かく形成された凝集体はそれ自体の有限と持続により自
己への拘束力を持つ
凝集体及び凝集体間の関係の集累積はやはり重かった
 
天の川銀河の中心部にあるいて座Aは太陽の370万倍の質量を持つブラックホールとされる
 天の川銀河はこのブラックホールを核として楕円形態を保っているのか
 銀河M106の中心に太陽質量の3600万倍の質量のブラックホールがあることが確認されている
1990年以降多くの銀河の中心部に106-8太陽質量のブラックホールの存在が確認されている。
 厳密にはブラックホールは『時空の他の領域と将来的に因果関係を持ち得ない領域』として定義されているが
 一般相対性理論に量子力学が加わったホーキング輻射などは到底私の理解し得るところではないが
 なにか凝集体及び凝集体間の関係の集累積とブラックホールが私の頭の中で重なった

 腰まで鉛の池につかったルチフェロが手を伸ばす「事象の地平線」の表で
 チョロチョロと勝手に生きているような小さな生命
 少し偉くなって宇宙も語るが
 神を語り 神の否定を論じるが
 ただウィトゲンシュタインのように
 「語りえぬものについては、沈黙せねばならない。」

 しかし私は
 「事実の論理的映像が思考である。」
 程には頭がよくない
 だから「私の神様」と呼ぶ
 
 意識者は語る
 「私は暗闇の空間と言った そして透明の空間と言った
 ひとは真空空間と言う そして真空中にヒッグス粒子が満ちていると言う
 
 存在は質量から始まる
 二極の対象と 揺らぎによるビッグバーンは時間と空間の始まりだったが
  E = mc2 はまた mc2 = E である
ここではヒッグス粒子は似合わない ヒッグス場が=である」
 
" Die Welt ist alles,was der Fall ist."
 "Was der Fall ist, die Tatsache, ist das Bestehen von Sachverhalten. "
  der Fallは場があって止まる 若し場がなければ限りなく落ち続けるであろう
そして止まってdie Tatsacheであり そしてdas Bestehen von Sachverhalten.である
時間と空間にあるDie Weltはそのようなものだ
 der Fall自体には論理性はない =によってdie Tatsacheとなり
 Die Logische Bild der Tatsachenとして思考対象となる
 
広島に落とされた原爆に詰め込まれたウラン235は約50kgだが その爆発によって消失した質量は7g程と推測されている
暗黒物質を含む宇宙の全質量のエネルギーおよび転化された運動エネルギーと位置エネルギーの総量を私の頭の中に捉えることはできない
 しかも
 ホーキングによれば宇宙の重力の位置のマイナスエネルギーの総量は 質量のエネルギーおよび運動・位置エネルギーと対価であり 宇宙の全エネルギーは零になる

 ホーキングは零の観念にとらわれる
 零を原点にして虚時間があり 実時間があり 時間はまた空間である
 ホーキングは
「宇宙が膨張する方向に進む矢」と「無秩序を増大させる熱力学な時間の矢」と
「われわれが未来でなく過去を憶えている方向にある時間の矢」と
 三つの時間の矢を仮説する
 そしてそれぞれの場の=は 無境界条件の下にあるのだ
 あえて=と私は言う 
 何故ならば個別は その潜在に円への指向を持ち
円の揺らぎの波紋が 全てを無境界条件の下に置く
 そして円はその完結において零である

           ◇         ◇

 軽々しく神の名を口にする者
 軽々しく仏を語る者
 軽々しく空と言い 無と言う者

 質量はあまりにも重い
 それを零にする重力の位置の負のエネルギーは残念ながら私には理解し得ない
 私は零の観念にこだわる
 何もない究極の一点 点ですらない一点
 そこにもぐりこむと 無限の広がりがあった
 透明な白の世界 そこに安らぐ
 やがて私自身空であり無であり ただ
 無限の広がりの透明な白の世界がある

 しかし
 それは観念である プラトンのイデアである
 現実は 私は存在し 質量を持ち歩いている
 年老いて形相は醜くなったが
 私の回転木馬が止まったとき
なお私の業 私の種の業は重く
 私は助けて下さいと叫ぶ