言語野とはなにか
 
「初めに言葉ありき」
言葉は神の領域である
 言葉によって神は天と地を分けた
 言霊とも謂う
 「あなにやしえをとめ」「あなにやしえをとこ とのりたまひをへて みあひまして」島々が生まれた
 
 感覚性言語野と運動性言語野が投影した円錐形の頂点の仮想現実に 「我(われ)」が君臨する
  「我(われ」は「自我ego」と「我(われ) Das Ich」に分かれるが
「自我ego」は「自己自身Selbst」に絡んで その尊厳を傷つけた
 ヒトはごおん-じょうく【五陰盛苦】を持った

 やがて【五陰盛苦】が一人歩きする 
 煩悩はその苦しさから逃れるために 「自性」(自己自身Selbst)を因として否定する

 お前から絡んできたくせに

 「自性」(自己自身Selbst)は否定され
 煩悩はその因から開放されたようだが
 お前自身が居場所を失う

言語野とはなにか

 「第二次信号系とは言語が条件刺激となり 信号を信号化するというもっとも抽象的な符号の系」

 抽象が綾なす仮相の形体 本来言語は論理であり系である 思考する主体 存在としての形体を持つ
但し仮相の形体
 系は連なりであり 其の完結は作品となるが それは時間の記録
 系は連なり続ける
 其の周りに取り付く関数式は 系の信奉者の自己満足である
 思考する主体 この仮相の形体
 しかし彼は知っている 形体は空間を占用し 場を占めるものそれは主体者である

 「我(われ) Das Ich」は何時の間にか肥大した
 「我(われ) Das Ich」が「自我ego」を脱皮する
そうだ この肥大に伴って言語野の細胞も多少変化するのか
 円錐形の頂点の仮相の形体が実体的な質料の変化を齎すだろうか

 ふざけんな 「自性」(自己自身Selbst)はまさにそのSelbstに於いて
 その系の正当性を主張する
 見ろ Selbstとして それぞれの細胞は一生懸命生きているんだ

 「自我ego」を脱皮した「我(われ) Das Ich」は
 その「場」の拡延の中に浮揚する
 それはプラトンの「観念」の世界というよりも アリストテレスの「概念」の世界のようである
 概念は「時間」をも分析する
 分析された時間は幅を持ち その時間の「幅」の回廊を「我(われ」は遡った

 「我(われ) Das Ich」はだんだんと神に近づく

 待て お前は単なる仮相の形体
 「自我ego」を脱皮したといっても仮相の形体
 私は「意識者」に聞いた
 「わたしは言語野が投影した円錐形の頂点の仮相なのか」
 「意識者」は答えた
「時間の幅に思考し 非連続の空間を観察する その能力を持つもの そしてわれと会話なすもの そこにあるもの」 

 横から自性「自己自身(Selbst)」が口を出した
 「われわれは神のうちにあって一生懸命生き 命を継ぎ そして死ぬもの 系に生きるもの 生命の継承者」