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 人間に楽土の記憶があるのならば
  
 天上に近く 初夏のすがすがしさにあって
 一切の色は澄淨に映えていた

 着るものは白の長衣
 さもなければ裸体に近く
 その肌は明るく
 男と女の抱擁は
 光りと光りの絡み合う様にあった

 信頼が人々を兄弟姉妹のように
 いささかの我意もなく結び付けていた
 一個の果実も
 その甘い汁で充分に渇きを癒し
 そうだ 人々は微笑み合い
 満ち足りていた

 なにかの断層がわれわれを楽土から遠ざける

 荒野
 風は肌を刺し
 水は雷光とともに人々を打った
 獣皮をまとい 荒くれた手と足を眺めながら
 血 
 カインはアベルを殺した
 残忍と暴虐と憤怒と邪淫は人間の本来の性なのか
 それとも結果としての発生なのか
人々は自らの手で傷口を深めつつ その生命の時間を進めてきた
 
 物によって媒体されるエネルギーが人間の生活を一変した
 労働の質から労働の量への転換に
 量の持つ斉一性が平等をもたらすようだが
 古い体制からの解放は新しい組織と管理を必要とする
 然し
 アダムスミスは見えない神の手を信じた
 
神の前の平等を啓蒙されて
 思考する主体を自己と認識することは
 自らの霊性と原罪の自覚でなければならない
 すくなくとも清教徒はそう信じた
 清貧と勤勉な労働はその生き方である
 教会はひとりひとりの敬虔な信者のものとなったが

ジョン・ロックは人間の心は白紙のようなもの
 感覚と内省という二種の経験作用によって観念が構成される
と考えた
 実証主義的な人間解明の方法はJ・S・ミルの帰納論理学となるが
 神は帰納の彼方となった
 直接的な繰り返し可能な経験によって検証されるケンブリッジ学派の分析哲学では
 経験的に実証されないものは無意味だった
 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」(ヴィトゲンシュタイン)

 「私は自分の内的風景を 子供の素朴な こだわりのない心で歌いたい」
 ほどにやさしいドビュッシーが
 仏独国境戦線から帰ってきた後の作品は硬くて暗かった
 その戦線では
 鉄に覆われて自走する火砲が塹壕をつぶし
 空には 飛行機が機銃と爆弾を積んで飛んだのである
 
 顕微鏡の発達はバクテリヤ ウイルスを目の前に明らかにし
 医学は急速に進歩し
もはや蛆虫は人間の肉を食らうことはしまい
 一握りの灰は見事なる一個人の終焉である と思えたが
 第二次世界大戦では
 石炭から石油・原子力へと強力化したエネルギーが
物に付帯したバクテリヤのように数千万のひとびとを粉砕し焼いて 殺したのである
累々と その死体が 埋葬されることなく 横たわった
 
 廃墟から生き残った生命が這い上がる
 
勝利者は陽気だった
 大量生産のシステムが生み出す富によって
 大衆は豊かであり自由だった
 その富と自由から人類の新しいテクノロジーが生まれる
 ノーバート・ウィーナーによって
 物とエネルギーと日常的な経験主義から離れて
1と0の二進に
ひとびとは新しい作業空間を手にした
情報が
配列と 束と集合と 位置と位相にのせられて
 多様な表式と映像に描き出され
 記録し 保存される

 新しい世紀が近づきつつある
 歴史時代から操作と制御の時代への推移である
 管理社会への移行のようだが

 情報は管理され操作される

 私はむしろ単純に私の曖昧さの中に陥落する
 私は私自身の内部を探索する 跳躍し飛躍する
 時空を超えて その世界は広かった

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 灼熱と凍結の中間 微温と有色の肌よ
 罪であり又恩恵である薔薇の充満よ

 端正なものは純化の工程を経た結晶体である
然し心傷ついたものを笑うとしたら

 プロメティウスの天の犬に抉られた眼の瞑想が
 暗闇に融和・高徳・智恵・堅忍の共和国を見たとしても
 
 すでにその幻影は終わっていた
 死に続けるの中になお耐え忍ぶ意志は
 
 大地を削って造形し掩蔽し 太陽を遮断して
 時間は確かに権力を弱めたが

 温度はなかった 色はなかった 薔薇は咲かなかった
 の冷静にきらきらと胸もとの人口宝石が輝く
 
 プロメティウスは最早慈悲の光
 を燈すことがなかった 嘆く 外では

 光と闇が直交する
 小さな宇宙船が孤独に彷徨う