存在として心は肉体を衣(ころも)していた
 人間の肉体の細胞の数は60兆個(体重60kgとして)と言われる
 一つ一つが全体の情報を持ちながら それぞれの役割を一生懸命果たす
 心はその数と重さを衣して 生きるための努力をするのだ 

 健全なる肉体の保持と継続と その再生と承継の為に
 本能と呼ばれる欲望に従う 
 環境とその与件に適応しなければならない
 
 60兆個の細胞には敬意を払う
 しかし時には
 心は己の肉体に向かい合う
 肉体からの乖離を願う
 一切は空である
 「色即是空」」

 しかし亦「空即是色」であった

           ◇         ◇
   黒の手袋があった  茶の手袋があった  実の手袋であり  虚の手袋である  もう一つの手袋があった  白の手袋  実でも虚でもない手袋  素手の手が伸びてきて  その手に手袋がはめられた  黄色い手袋  縁起という手袋
           ◇         ◇

 前に私はイメージした
 何もない究極の一点 点ですらない一点
 そこにもぐりこむと 無限の広がりがあった
 透明な白の世界 そこに安らぐ
 やがて私自身空であり無であり ただ
 無限の広がりの透明な白の世界がある
                          ―追章Ⅱ存在者 01存在者―
 円座する光り輝く神は 存在神としてのレトリックである

 白は肯定と否定
 一つの約束がある 書き終わったら元の白に戻せ
 
           ◇         ◇

 天の川銀河の中心には大きなブラックホールがあった
 
 すべての物体には重心がある
 集団あるいは集合の閉じた域には重心がある
 地球 太陽 銀河星団 星団の集合の島宇宙
 それぞれの重心は それぞれの位置を保ちながらその形体を保つ
 そして求心的な重力ベクトルのすべてが交差する点は数学的にゼロである
 地球の中心の重力はゼロである

 大きなブラックホールは星団の中心にあって
 宇宙全体の膨張のエネルギーの中で
 星団の「それぞれの位置を保ちながらその形体を保つ」

 ブラックホール解を時間反転させたアインシュタイン方程式の解として
 ホワイトホール(white hole) が理論上議論されるが
 量子効果によるホーキング放射は
 ブラックホールもホワイトホールも同じ物体としての解釈を成り立たせる
 しかしそれはホーキングの「対理論」の仮説であり
 ブラックホールの事象の地平線付近での対生成の
+の外へ放射と -の内への落ち込みによるブラックホールの蒸発は
ゼロ軸を鏡とする「対写像」の錯誤である

神における二極対称はゼロの中にあり 神の揺らぎは
陰陽魚太極図の陰陽魚となって偏角運動を始動する
ビックバーンは神の意志
その時間とともにある空間の膨張のエネルギーを 人々はブラックエネルギーと呼ぶ
そしてヒッグス場でエネルギー 「或る力」と称した方がいいのか が
質量に転換されて 人々はブラックマターと呼ぶ

ブラックホールは
黒体(こくたい、Black body、あるいは完全放射体)理論と並行する
黒体放射を現実に再現するために空洞放射が用いられるが
 黒体放射の色温度は シュテファン=ボルツマンの法則によれば
温度が低いときは赤く 温度が高くなるにつけ青白くなる

プランクの法則では 黒体が電磁波を放出するときの振動子の量子化が仮定される

ブラックマターを集めて 小さなブラックホールは恒星の胎児であった
小さなブラックホールは 凝集と高温への上昇のプロセスで 水素の核融合となり
そして光り輝く星となった

太陽の 核融合によって発生するガンマ線は種々の干渉を経て
可視光線として地球に届くが
可視光線の光束は「明」であり
白はその全光線の乱反射である
 地球は 
 太陽に向ける半日を 白の世界として持つことが出来たのだ

老子において一切が流れ込む谷神は虚であった
地獄からのルチフェロの吐息は氷のように冷たかったが
 地獄の釜は赤い炎 青い炎の熱さだった

           ◇         ◇

若い時思いついたテーゼがあった
「すべては自らの重みに沈む」
質量は罪であるのか
落ち込むところがゼロであり虚であるのならば ルチフェロは何処に居るのか

ハイデガーは言っている
われわれの現存在としての認識は「何処からか世界の中に投げられてある」
マラルメにとってそれは『骰子一擲』であった
 投げられてある現存在の重さ
 投げられた骰子(言葉)の重さ
 それも依他起性 一切が縁起
 そしてその重さが沈み込んだ先がゼロであり虚である
 
ならば先に質量をゼロにする

           ◇         ◇

 マンセル型色空間では 中心の上下軸 無彩色の軸の 上限が白であり 下限が黒であるが

「スカンバ」の周りをアーディティア神群・ルドラ神群・ヴァス神群が廻る
 マンセル型色空間では 中心の上下軸 白と黒を対極に持つ無彩色の軸の周りを
 500nmから700nmの色彩が廻る

 ルノワールは光りと色彩の画家と言われる
 《陽光の中の裸婦》題名のように陽光と 陽光に照り映える裸婦の色彩である
 
 小学の高学年 私はドラクロワによって絵画に目覚めた
 明暗の格調の中に モチーフがしっかりと描かれる
 色彩はその色付けとしてある

 色彩が自由を得たのは印象派以降である
 ドガの《 舞台の踊り子》を知ったのは中学低学年の時であった
 ドガは「現代生活の古典画家」と自らを位置付けるが 確かなデッサンの上に色彩があった
 スーラの《 グランド・ジャット島の日曜日の午後》は点描の点のなかに光りと色彩を感じさせる
 やがて絵画は表現主義から立体派・構造派・抽象派など現代に移るのだが
 ピエト・モンドリアンは 宇宙の調和を表現するのには
 赤・青・黄の三原色による「コンポジション」が必要であると主張した
 ただ彼の宇宙とは 
 波長380 nmから750 nmの可視光線電磁波波長域の世界にしか過ぎない
 
 鉱物はその分子の構成において それぞれの反射面を持つ
 水はH2Oの層において水色の反射面を持ち
 空はその空気の層において空色の反射面を持つ
 草や木の葉は光合成のための光りを吸収して 緑色だけを反射し
 季節による生成の変化によって 葉は枯れ色となり落葉する

 動物たちはその環境のなかで 種としての色と模様を選択する
 鳥類は なんとあでやかなのだろう 誰がお前があの恐竜の末裔だということを知るだろうか
 特に雄どもは雌のために派手やかに着飾る
 そしてその歌声は美しい

 歌声と言えば ランボオは音韻と色とそのイメージをとらえる
『母音』は 十七歳の作である
 「私は他者である」「詩人は長期間の、破壊的で計算された錯乱によって見者(ヴォワイヤン)になる」
 その様な十七歳であった

 何よりも花は美しい
 交配のために その芯に
 蜜をためて 蝶や蜂を呼び込む
 柔らかい花弁に 赤や青や黄色や
 柔らかい花弁の細胞に その色の分光の仕組みをつくる
 その仕組みは花弁の細胞の内にあるのだ
 透明な 生命の輝きを通して 花の色彩はある

 人間の色彩は顔料の厚みの中にある
 ピカソは巨人である
 私がモディリアーニを理解できたのは 大分後だった
 貧困と男の悲しさ 彼の絵を支えたのは二度目の妻ジャンヌ・エビュテルヌの愛とやさしさだった
 「キュビズムは手段だけで生を問題にしない。」
 「抽象は人を疲れさせ、駄目にする。袋小路だ。」
 そこには彼の生活があった
 ジャンヌとの生活があった
 ユダヤ人のモディリアーニとの結婚をカソリックのジャンヌの両親は許さず
 モディリアーニが死んだ後もジャンヌを家に入れなかった
 ジャンヌは自殺する
 たしかにその悲しさの故に モディリアーニの絵を部屋に飾るには相応しくないが
 私の家の玄関には
ピカソのロトグラフが飾ってある


神話を思い 歴史を思い 生活を思い
 その肯定と否定 歓喜と悲鳴 快楽と苦痛 なによりも安らぎ
 それを作者が表現するとき
 その作品は現存在としての位置を獲得する
 そしてその作品には 求心の黒があり
 拡散の白があり
 其の周りを 色彩が取り巻いている

           ◇         ◇

 意識者よ
 「暗闇であり 透明であり 真空である」空間に
 そう ビッグバンによる宇宙の拡大は
 「暗闇であり 透明であり 真空である」空間が「場」として先行する
 その部分としてのヒッグス場が量子化されてヒッグス粒子となり
 素粒子に質量を与える
 ヒッグス粒子は超対称性粒子である

 黒体と 黒体放射と
 その赤から青白い光りへの電磁波のエネルギーの推移
 やがて白色惑星を見る
 それは神の部分である
 
 神の原点に私がイメージした「透明な白の世界」
 修正する
 ここには可視光の波長もなく その消衰係数extinction coefficientもない
 「白の空間」は
 一枚の白い紙
 のなかに私が居るような
 
 紙の上での 神との会話である
 「白い紙 それは全可能性である
 そのなかにお前だけが居る
 お前は白い紙から色を取り出して 
 お前の未来を描く
 人類はそれを神から与えられた自由意志と認知する
 そして書き終わったら消さなければならない

 すべての色が塗り潰されれば
 白い紙は 黒い紙になる
 お前は宇宙の果てに飛ばされるのだ

           ◇         ◇

 高幡不動のお不動さんは赤不動だ
 成田のお不動さんは青不動と言われる
 赤の色温度は1800 K
 青の色温度は16000 K
 
 「教令輪身」(きょうりょうりんじん) 火生三昧(かしょうざんまい)の炎の世界に住して
 仏の「澄浄」を護るが
 右手に三鈷剣を持ち 左手に羂索(けんじゃく)を握り 火炎光背を背負い
 憤怒の相であるが
 高幡不動のお不動さんは何故かやさしく感じた
 そして迦楼羅(かるら)の炎による浄化の行の教えを受けた

 空海は日本最高の秀才である
 華厳の世界を超えて曼荼羅の世界を説いた
 「真言、庫を開く。秘宝忽ちに陳じて、万徳すなわち証す。」(第十住心秘密荘厳心)
 秘宝は色鮮やかである
 ダライ・ラマはその著書の中で「曼荼羅の本質は『光』である」と言っている
 その『光』が分光して時輪曼荼羅(カーラチャクラ・マンダラ)は色鮮やかである
 そして空海は金と銀とで高雄神護寺の両界曼荼羅を描いた
 黄金は仏内証の極意を荘厳する
 空海にとって黄金は最後の色であった
 
『大毘盧遮那仏(だいびるしゃなぶつ)』大日如来は
 「六大』地・水・火・風・空・識
 「大曼荼羅」「大曼荼羅」「法曼荼羅」「羯磨曼荼羅」
 「三密」
 この世にあるものすべてであり その中心にある 
 とする学僧の認識は
 単純に
 叙事詩『マハーバーラタ』においてはヴィローチャナとは単に太陽神であった

 太陽は太陽系の全質量の99.86% 
 その組成は 水素73.46% ヘリウム24.85%
 天文学では主系列星のひとつ スペクトル分類G2V(金色)黄色矮星とされるが
 太陽光線は 5000~6000 K 白色
 私は 太陽を白色恒星と呼んだ
 水素の原子核融合により発生するガンマ線は 電子や陽子により直進を阻害され
 プラズマ(電離気体)に吸収されてエックス線として放出されるが
エックス線もプラズマへの吸収と放出を繰り返して
 外側部から放射されるのは紫外線 可視光線 赤外線 である
 そして可視光線の光束は白である

 地球の渚を オゾン層の上に 宇宙ステーションから宇宙飛行士が見た
 なにか オゾン層によって進入を阻害された紫外線のたゆたいを感じる
 地球圏に入った太陽光線は 地球に熱を与え 生命を与える
 地球の自回転と軸の傾きによって 昼と夜があり 四季があり 
 地球のものものは太陽光線を分光してそれぞれの色彩を出す
 そして
 地球は 天空に 青い惑星として照り映えるのだ

空海にあって太陽はスペクトル分類の金色
 仏内証の極意の荘厳において黄金であった