「カーラは七条の手綱もつ馬として、[車を]牽く。 千の眼を有し、老ゆることなく、種子に富む。 霊感ある詩聖らは彼に乗る。 彼の車輪は万有(一切の世界・生類)なり。」
―カーラ(「時」)の讃歌(一九・五三)(一)―
(辻直四郎訳『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』)
 これ以上美しく「時間」を語った者はいるだろうか

 アウグスティヌスにとって 時間とは 過去は記憶であり 現在は直観であり 未来は期待であった
 そして神は永遠であり 過ぎ去るものは何もなく 全体が現在にある
 カントにあっては 時間は現象認識の先天的な形式である
 現在では 時空をあわせて四次元の直交デカルト座標で表す
 しかし 時間とともにある世界と生命を 誰が描いたか

 「その上にプラジャー・パティ(「造物主」)が、一切の世界を支えて固定したるそのスカンバを説け。 そはそもいかなるものなりや。」
 「そこにアーディティア神群・ルドラ神群・ヴァス神群があい集まり、過去と未来と、すべての世界の安立するそのスカンバを説け。 そはそもいかなるものなりや。」
                   ―スカンバ讃歌(一〇・七)(七)と(二二)―
 (辻直四郎訳『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』)
 このように神々を美しく位置づけた神話があったろうか
 プラトンの想起 (anamunesisi)は真の知識であるイデアを得る過程である
 もしプラトンが次の頌を知ったならば涙を流して喜んだろうか
 「その中に人がもろもろの世界と、宝蔵と、水(太初の原水)と、ブラフマン(最高原理)とを知り、その中に無と有とを含むそのスカンバを説け。そはそもいかなるものなりや。」
―スカンバ讃歌(一〇・七)(一九・五三)(一〇)―
(辻直四郎訳『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』)
 太陽系のカーラとスカンバの中にあって 暗闇に 太陽の光りを受けて照り映える地球
 地球には地球のカーラとスカンバがあって その中に地球
 の生命が生成した
 人類・自己自身(Selbst)に連なる生命の系譜もそこにある
 すでに気ままな神々は 人間の言葉によってただ語られる神々となった
 私は土より人間を作ったという神を信じない たとえそれがエホバであっても

 聡明なる王子ゴータマ・シッダッタは城外に「四苦」を見た

 意識者は新しい「カーラ」と「スカンバ」を恐れる
 新しい「カーラ」と「スカンバ」は人間への配慮を持たない
 それはすでに人間に 昔 老賢者から引継ぎしもの 我(われ) Das Ichがあり
 我(われ)は 意識者を内に見る
 そして意識者は語る
 神は 人間に 智恵とともに自由意志を与えた