アンドリュー・ジャクソン・デービス(Andrew Jackson Davis)
 エマニュエル・スウェデンボルグ
 平田篤胤
 ダンテの神曲

 細分化(ナノ)の技術はハイゼンベルク「の不確定性原理」の壁を越えた
 しかし位置と運動の把握が時間の上にある限り その誤差はゼロではありえない
 量子のひも理論はその形態でなく 運動の距離とその波動の軌跡である

 「二匹の猫の理論」はどのように理解すべきなのか
 位置と運動
 運動の距離とその波動の軌跡
 それに速度が加わる

 重力場が加わると軌道は曲げられる
 観察の目が直線的だと位置の錯誤が始まるのだ
 更に数が加わると
 人は順列・組み合わせ それに集合論と
 
 多様な方程式を展開する
 しかしカントは言っている
 「人間は原因を必然として始めることは出来ない」
 変数のすべてを理解し導入することは困難である
 その前に定数の選択があった

 定型理論には理想型が付き纏う
 プラトン的に考えるなら理想型は未来にある期待像ではなく 想起によって呼び覚まされる過去軸にある
 神の原型
 しかしそれはホーキングにあっては零であった

 私が私の神様と言う時 それは情念であり 意念であり 想念であり 思念であり
 念はべクトルである
 ベクトルは質量を持つ軌道であり 軌跡であり 
 光りは光子であり波動であった 

 念が澄むとき「Das Ich」は意識において神を見る
 意識者よ 
 そのすべてが神なのだ

       ◇         ◇

 身体的自我の苦しみと悲しみを背負うた「Ego」が
 それは肉体の本能の哀歌なのか
 歌うこともなく心の傷として
 肉体を離れて 思念界を彷徨うた
 
 そうだ パントマイムのピエロから始まったではないか
 舞台は揃っていた
 「サロメ」は鬱積した愛の神聖劇だった

 ピエロは外に出て 裸身を太陽に曝した
 しかし青銅仮面
 地の底にルチフェロの嘆きを聞く

      ◇         ◇
 
 二極対称の軸は縦軸なのか 横軸なのか
 静座観の菩薩の目から見た縦層の世界は縦軸であり
 ダルマの帯の流れは横軸である
 しかし球体の偏角運動にあって縦横はどのような意味を持つのか

 縦横は 認識の 方法論的な形式である
 光りと闇は 神聖なるものの 方法論的な相対である
 善悪は 利と害の 方法論的な判断基準である

        ◇         ◇

 プラトンにあってイデアは想起される理想型であり
 その頂に至高善があった
 しかしそれは神聖なるものの代名であり 対応するものはそれを理解出来ぬ愚かさである
 カントの「sollen」は超越的なものからくる「定言的命令」である
 認識の限界を述べながら それを可能ならしめる時間と空間は
 事実の連鎖ではなく 先天的な形式として位置づけられる
 カントの哲学は 厳格なドイツ・プロテスタントの規律のなかにあった

 「頭の悪い 神に酔った男」と誰かがスピノザを評したが
 スピノザにあっては 倫理は超越的なものからくる規律ではなく
 神の必然であり 神の部分としてのすべてのものが共有するものである
 アインシュタインが
 「存在するものの秩序ある調和の中に自らを現すスピノザの神なら信じるが、人間の運命や行動に関わる人格のある神は信じない」といった   
                          ―アインシュタインロマン」 (1991年4月~12月.NHKスペシャル)―
 スピノザにあって 「実体」はただ一つであり その属性と様態として世界があるのである
 そして人間はその様態の一つなのである
 神の中に在ることの認識が神の認識であり その認識がわれわれの有限性の空しさ 不和・不満から開放し
 人々の精神を至福に導くのである 

 エホバの神に従う者の精神構造では 人間は
 絶対者によって 絶対者の外に作られた 絶対者の掟を破り罪人として追放された
 ただ絶対者の裁きと許しの下で幸福を与えられる存在である

 キリスト教における神は
 「エリ エリ レマ サバクタニ」の「エリ」
 キリストはその神から使わされた神の子である

 いろいろな神を見てきたが 自ら神と名乗るものは個別神である
 そして絶対はない
 世界は現象において在り
 必然は大いなる力の動きであり
 調和は弥次郎兵衛のバランスである
 
 意識者は答えてくれた
 ビッグバーンの神の意志において
 「至高善」であり 「第一動者」であり 「定言的命令」であり
 「慈悲」であり 「愛」であり 「理性」である

       ◇         ◇

 私が一番怖いのは「澄浄」

 穢れてはおどおどと神様の許しを乞う

 私の霊界の層は透明度にあった
 透明にあってすべてのものを見る
 ソクラテスは愚かな人々を見た
 もっとも愚かな者は 個別の論理の正当性において全体の論理を損なう輩
 ルチフェロは「悲」を知っていた ただ運命に従っただけである

 ただ「澄浄」も「透明」も感情を離れる

 甘えであることは知っている
 私は私の神様の助けを求めるのだ 「私の神様」と