昨日に引き続き、肺が苦しくてどうしようもなく
声も出ずな状況になっておりました。
これは煙で呼吸器がやられたうえに、寒気で空気が非常に冷たく、さらに乾燥が加わり、肺や気管支にとってとてもタフな状況に置かれてしまったからです。
しかも自分は元々呼吸器が弱い、当然の結果ですね。
先日柴灯護摩が修された現場は、多くの人が滝に飲まれて亡くなった場所です。
水死という亡くなり方はとても苦しいものであるらしく、肺に水が入り息ができなくなって亡くなるわけです。
意識を失うまでの苦しみは想像を絶するものでしょう。
自分のこの状況は、ある意味では水死した方々の苦しみというものを追体験しているわけです。
あぁ、これはとても苦しかっただろうなと思った時、自分にできることは経を読み真言や陀羅尼を上げて亡き方々に廻向をするということぐらいです。
仏教には他者に自分の積んだ功徳を巡らせる、という考え方があります、対象の生死は関係ありません。
仏様にお願いして読経の功徳を亡き方々にも流して頂くことができるのです。
彼岸会や施餓鬼会が代表的ですが、真面目な寺院では毎日施餓鬼などがなされていることだろうと思います。
(ただ真宗では教理の都合上ちょっと解釈が違うようです)
この時に他者に流れる功徳は本人が積んだ徳の1/7だときいています。
つまり6/7は施主の功徳になります、お寺に廻向をお願いすることは、その多くが自分の功徳になるということですね。
廻向の祈りは自他共に功徳を積みますが、他者の取り分は少ないので、何度も重ねていく必要があるのではないかと思います。
そしてこれは六波羅蜜の一番目、布施波羅蜜を行うことになるので、大乗仏教の修行をきちんと行なっていることになるのです。
僧侶に習って、自分で読経し回向文を読むことも結構なことですが、節目などには然るべき寺院に依頼することも大切です、餅は餅屋に。
亡き方々の苦しみが癒やされ、転生先にてよき因となるよう祈ります。
そしてこの話をきちんと子供や孫にしておくと、死後に自分にも廻向の功徳が巡ることでしょうから、
信仰の継承ということは大切なことなのだなと思います。
もしかすると自分達にも過去生の関係者が廻向をしてくれているのかもしれません。
相互供養は大切なことだとあらためて思わせて頂いたことに感謝です。
病を通じて得るものはとても多いものですね。
南無阿弥陀佛
合掌