低山を歩いて回ってみました。
冬山は見通しがよく、歩いている分には寒くもないのでいい時間を過ごせました。
鎮守社に参拝もさせていただき、修験の行の一環となりました。
来年の登拝シーズンに向けて低山で足腰を作っておこうかと思います。
先日とある行者さんに「それはまずいのでは?」と問いかけたのですが、自己判断で問題なしとされたようです。
では私からご本人にこれ以上言うことはありません。
なぜそんなコメントをわざわざしたのかというと、密教、修験道の世界では「していいこと」と「してはならないこと」があるからです。
その線は教団によって多少の違いがありますが、許されていること以外はできないと言う点では共通しているので、自分の振る舞いについて常に師に確認をとらなければなりません。
伝授された法も「自行は可、利他行は不可」というのも多いです。
教団や師から允可を受けなければ利他の修法はしてはならないのです。
(利他の祈りはOKです、修法となると話は別になります)
今この場ではして良くても家でやっちゃダメとかもあります。
当然理解しているものとして明言されないこともあるので、これから行をする方は師にひとつひとつ確認をとることをお勧めします。
この線を越えてしまうことを越法と呼びます。
最も大きな罪の一つで無間地獄に堕すものです。
大きく重い罪なので問いかけたのです。
例えば市販の次第書を買って勝手に行じるのは越法罪に触れるのです。
じゃあなぜそんな本が売っているのかというと、阿闍梨位にある人がそれをみて勉強したり、著者から伝授を受けるために使うのです、本来市販されていること自体がおかしな話と言えます。
その流の阿闍梨でない方が次第を読むのも本来はNGです、伝燈阿闍梨より許可(こか)を受けるのが原則です。
そして売っている次第はアレンジが入っている場合や肝心なところが書かれていない、あえて違うことが書かれている場合があるのでそのままでは使えないケースも多々あるのです。
(古文書の研究、勉強目的の閲覧は目的が違いますから別の話になってくるかと思います)
また、利他の修法ができるのは原則加行を終え灌頂をうけた阿闍梨です。
加行を最後まで終えていないということは、自行中の行者ということなので「まず手前の修行を終える」事が優先になります。
行を始めたならば四度加行なら四度、恵印なら七壇+護摩すべてを修めるまでは、利他の行はしてはならないと、
これは私も行に入る前に厳しく釘を刺された事です。
修験の世界では護身法や加持祈祷作法を未灌頂の行者に授けることがありますが、あくまで未灌頂の者でも扱えるであろう範囲での話です。
師匠、本尊との繋がりの中で許されたものであると言えましょう。
また、大先達は柴灯護摩を許されることもあるでしょう、これも講社本山が適当な人物であると認めたからに他なりません。
そして、受けた法を勝手に外部に公開することはとても厳しく禁じられています。
法を他者に教える事ができるのは阿闍梨、厳密に言えば一流伝授を受けた伝燈大阿闍梨のみです(東密の場合)
そうでない人間がたとえ一部でも次第の中身を不特定多数に見られるようにするということは大変ヤバい罪なのであります。
どのぐらいやばいのかというと、私は「頭が爆発する」と聞いています。怖いですね。
分不相応なことはしてはならないのです…
仮にやって霊験が現れたとしても、それは仏の加持力によるものではないでしょう、梯子をかけて落とすのは悪魔のよくやることです。
そしてそのカエリを受けるのは、その家の一番弱いものからだと聞いてますし色々見ていてそう思います。
ペット、子供、配偶者、自分、次に子孫です。
加持祈祷をするということは相手の因縁に土足で踏み込む事になりますから、当然に反動はあると言われています。
それをどうやって捌いていくかは明師について学び、自分の修行をきちんとしなければわからないのです。
いろいろ書いたのは、うかつに秘密の法に手を出して恐ろしい目に遭う方が少しでも減って欲しいという思いからです。
正当な修行をして菩薩道を歩んでおればあまり心配のいらないことではありますが、昨今は情報があふれ誰でも簡単に欲しい情報にアクセスできてしまいます。
謙虚に、一歩ずつ…歩むのが一番善いと考えます…
この投稿が私の分を超えていないことを祈り、出過ぎたマネをしているようであれば三宝に懺悔いたします…
合掌