節分でした。

今日はどこにも行けませんでしたので、心の中で真言をお唱えしていました。



〈思ったこと〉

本地垂迹の考えでは、神様は仏が形を変えて現れたお姿であるとされています。

例えば八幡神は阿弥陀如来が仮に現れたお姿だとか。


そして一切悉有仏性の思想では人々には(生きとし生けるものや無機物でさえ)仏性があると説かれます。


それを思うと、我々人間にも本地となる何かがあるのではないかと思われてきました。


ある大徳は、人が生まれる時に微塵菩薩(そのまんま、とても小さな菩薩様の意)が身体に入り共に人生を歩んでいく、それを自覚し大きくしていくことが今生の行であると説かれていました。


自分も仏の現れであれば、他人も仏の現れでありますので、これを皆が自覚すれば互いにリスペクト持つことが出来、世界は平和になりそうです。


しかし煩悩の厚い層に覆われている私には仏性なるものや、微塵菩薩を自覚することが中々難しいです。


自他の仏性を信じ、十善戒をよく保ち四摂法に生きていれば、何か見えてくるのでしょうか。


凡夫にはエクストラハードですな…