諸行無常とは、物事は常に移り変わるということ。


キッツイ思いをしている時があったとしても、いつかは必ず終わりが来て次のステップに行くことができる、否、必ずそうなる。

悲しいかな逆もまた然りで、有頂天から真っ逆さまに地獄に落ちるような思いをすることもある。

いつ、なにがどうなるか、誰にもわからない。


自分は今、体調が悪い、次から次へと健康問題が出てくる。

でもそれは10年間ムチャクチャな働き方とそれに伴う不摂生を続けてきたからだ。

「責任ある社会人!これも修行(キリッ」とか、

「飲み会の誘いは断らない」みたいに意識高い感じで何もかも引き受けてたから実に都合よく使われてしまった感があるが、いい教訓になった。

嫌われても評価下がっても、NOということは大事だと。

所詮雇われ、働く場所は星の数ほどあるのだから。


ところで仏様の説によると、より善い未来に行く方法はシンプル、善い行いを積むこと。これに尽きる。


過去の行いが現在を作っているので、「さぁやるぞ」と思い立って善いことを続けていても、報われない気持ちになることがあるかもしれない。

こんなにやってるのに、無意味だと投げやりな思いになることはよくある。

しかしそれは単純に過去の精算をしているだけなので、騙されてはいけない。挫けてはいけない。

善い行いは善因となって魂のバランスシート借方に書き込まれていっているはずだ、貸方は悪因だ、善因が増えた分悪因が減って行くのだ。

複式簿記は実によくできたシステムなのだ。


聞くところによると、過去の悪い行いを精算する方法は、潔く報いを受けることと…

心から自分の過ちを認めて、仏前にて懺悔していくこと。

心当たりのある事は具体的に懺悔できるが、気づかない内に積んだ罪も含めて懺悔していく。

多くの宗派で、勤行は懺悔から始まる、なるほどなと思う。


我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔


上がり目と下がり目ごとに心が揺れ動く自分自身に言い聞かせるためのメモでした。