標高132メートルの勝山に天守のある松山城は、

 賤ヶ岳の七本槍の一人加藤嘉明

(加藤姓が二人いるので間違い易いのですが、

加藤清正ではない方です)が、関ヶ原の功で、伊予20万石

となり、松山城を築城しましたが、完成をまたず、

会津に転封になりました。

 

   

 

その後、蒲生家を挟んで、松平家が15万石で入り、

明治まで続きました。