今は名古屋の緑区にある有松は、東海道が

整備された頃は、松林の生い茂る丘陵でしたが

尾張藩の振興策の一環で、移住が推奨されましたが

なかなか人口は増えず、桶狭間村の一部でした。

 

その後、絞り染の技術が流入定着すると、豊かな商人の蔵や邸宅が

立ち並ぶ街並みと変貌していきました。

 

       

 

この近くには、桶狭間の古戦場があります。