日本海側の新潟から内陸の米沢に向かい
米沢街道が伸びていました。
新潟から60キロ離れた、関川村下関は
米沢街道の宿場で、荒川が流れ日本海に注ぎます。
その舟便の拠点が下関上関にありました。
ここは、渡邉邸と言って、豪商で豪農、庄屋も務めました。
渡邉家は初代は、村上藩松平家に仕える武士で、
姫路に国替えの際、隠居し隠棲して、2代目が
廻船業を営み、酒造業をはじめ財を成しました。
周囲に堀と塀を巡らせた3,000坪の広大な敷地に、
500坪の撞木造りの母屋、6棟の土蔵、庭園が配置されています。