平安時代、京都の下鴨神社の荘園で、

室町時代から瀬戸内の港町として知られていた

竹原は、江戸後期には、塩田の塩の生産が盛んになり

遠く江戸大坂まで運ばれていました。

 

そんな竹原の街並み保存地区の本町通りには、塩田経営者(浜旦那)

の邸宅や、頼山陽の屋敷などが並んでいました。

 

     

 

ここでは豊かな経済力で町人文化が育まれて、

多くの学者を輩出しました。