旧日光例幣使街道上の町、嘉右衛門町は、

天正年間に岡田嘉右衛門という武士が、荒れ地を開墾して

幕府から嘉右衛門新田という名を得て、岡田家は、豪農となり

名主として残りました。

 

      

 

まだその頃は、小さな集落に過ぎませんでしたが、

明治以降、宿場町の栃木が市政を引き、拡大すると嘉右衛門村は

吸収され嘉右衛門町となりました。