中山道の42番目の宿場町妻籠宿の中央の

枡形の近くに、下嵯峨屋があります。

 

ここは、江戸の中期に三軒長屋として建てられ

木賃宿を営んでいました。

 

 

木賃宿は庶民の宿で、規模は小さく、旅籠より格が下がります。

大部屋に雑魚寝で、食料は持参して自炊で、薪代を木賃として支払いました。