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昨日、平戸に行ってきました。前に来たのは、平戸大橋が開通した翌年の卒業旅行で、すっかり当時の事は忘れ、見る物すべて新しく、まったく記憶がありませんでした。長洲からフェリーに乗り島原へ,そこから雲仙を通り、出来たばかりの平戸大橋を通って、ここに来たのは覚えているのに、不思議なぐらいです。
長崎県平戸市は長崎県北部に位置して、観光と農業、漁業の町です。16世紀後半から17世紀前半、スペイン、ポルトガルの貿易船が入港し、オランダ、イギリスの商館がありました。南蛮貿易で賑わいました。三浦按針(ウィりアム・アダムス)は、ここで、亡くなりました。オランダ商館は、長崎に移り、今は、当時の面影を残すものは、オランダ塀や岸壁、井戸しか残っていませんが、大航海時代の息吹を感じました。万里の波頭を物ともせず、極東の小国までわざわざよく来たな。彼らの冒険と勇気に感心し、莫大な富を生む、貿易というもののに不思議さを感じました。
湊のフェリーの発着所の隣の駐車場(無料)に車を泊め、市役所の方に行くと、古い石橋が掛かっていました。その下にの入り江には、大きな魚がいっぱい泳いでいました。湊からお城に通じる幸橋を渡って、お城に登りました。西の櫓から北虎口門を抜けずに天守に向かいました。ここからの眺めは、すばらしく、平戸の町は言うに及ばず、平戸大橋や遠くの島々まで見通すことが出来ました。一番高い天守は海抜50メーター位でした。

平戸城~1587年松浦氏は,豊臣政権下63200石の大名になり6千の手勢を率い朝鮮に渡り、転戦しました。帰国後,1599年日の岳城を造りました。14年後に焼失し、徳川政権下、1704年亀岡城を造り、再建しました。