菱の門まで戻ってきました。門から西に曲がると、西の丸に出ました。ここは、池田氏3代の後、封じられた本多忠政(15万石)が,長男忠刻に嫁いだ千姫の為に整備しました。杉林を抜けると、美しい庭園があります。ここから見る天守閣は、すばらしくて、テレビのドラマで、徳川将軍が住んでいるあのシーンです。わの櫓から渡櫓を見学できるという事で、はいりました。長い廊下の片方は、城外の敵に備える狭間があり、片方は城内で、部屋や門になっていました。長い廊下の先の先に、化粧櫓がありました。その中には、千姫の人形が展示してありました。
徳川2代将軍秀忠の長女千姫は、太閤秀吉の子の豊臣秀頼に7歳で嫁ぎましたが、大坂夏の陣で、豊臣家が亡ぶ時、大坂城から助け出されて、本多忠刻に再嫁しました。忠刻も31歳で亡くなり、尼となり、江戸で70歳までひっそり暮らしました。政治に振り回され、けして幸福な人生ではありませんでした。
城を後に広い公園には、お腹の大きな黒猫が、寝転んでいました。駐車場に戻って見ると、入ってから3時間までは経っていませんでした。山陽道に乗ろうと姫路西に向かいました。山陽道に乗って赤穂の辺りから雨になりました。帰りはガソリンスタンドの多い、山陽道で帰ることにしました。岡山を過ぎる頃、残油警告燈が点灯し、後100キロぐらい走れるなと思いました。まだ走れる、まだ走れると、とうとう広島の宮島PAに入りました。残念ながら安芸の宮島は、夕暮れと雨でぼんやりとしか見えませんでした。帰りの道の長かった事、行きの比ではありません。やっと、佐賀まで辿り付いたのは夜10時でした。腰は痛いはで、もう遠出は出来ないなと思いました。
記録
~出発午前5時 帰還午後10時 滞在時間3時間 走行距離1217キロ 燃費20.3キロ/L 給油3回60L 休憩8回 食事4回 高速代2千円
徳川2代将軍秀忠の長女千姫は、太閤秀吉の子の豊臣秀頼に7歳で嫁ぎましたが、大坂夏の陣で、豊臣家が亡ぶ時、大坂城から助け出されて、本多忠刻に再嫁しました。忠刻も31歳で亡くなり、尼となり、江戸で70歳までひっそり暮らしました。政治に振り回され、けして幸福な人生ではありませんでした。
城を後に広い公園には、お腹の大きな黒猫が、寝転んでいました。駐車場に戻って見ると、入ってから3時間までは経っていませんでした。山陽道に乗ろうと姫路西に向かいました。山陽道に乗って赤穂の辺りから雨になりました。帰りはガソリンスタンドの多い、山陽道で帰ることにしました。岡山を過ぎる頃、残油警告燈が点灯し、後100キロぐらい走れるなと思いました。まだ走れる、まだ走れると、とうとう広島の宮島PAに入りました。残念ながら安芸の宮島は、夕暮れと雨でぼんやりとしか見えませんでした。帰りの道の長かった事、行きの比ではありません。やっと、佐賀まで辿り付いたのは夜10時でした。腰は痛いはで、もう遠出は出来ないなと思いました。
記録
~出発午前5時 帰還午後10時 滞在時間3時間 走行距離1217キロ 燃費20.3キロ/L 給油3回60L 休憩8回 食事4回 高速代2千円