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大分県の方にドライブに行こうと、地図を開きました。まだ廻ってない、中津方面に注目しました。行く途中、菊池寛の「恩讐の彼方に」で、描かれた、本耶馬渓にある青の洞門と傍にある羅漢寺による予定で、出かけました。田主丸を通り日田に抜ける道を走りました。日田からは国道212号線を一路中津市方面へ進みました。

山国川の対岸の切り立った崖に禅海和尚が掘った青の洞門がありました。今は、自動車が通れるトンネル(すれ違いが出来ないので信号で1方づつ通す)が掘られていました。この自動車のトンネルに沿いながら和尚の掘った穴は、残っていました。人がやっとすれ違える位の狭いトンネルで、ノミの痕が残っています。

享保二十年(1735年)この地を修行中訪れた越前人禅海和尚が、崖に作られた粗末なそま道から転落死するのを見て、住民の難儀を救おうと、一念発起し、この崖にトンネルを掘ることを始めました。はじめ岩に穴を開けるなどできるわけが無いと冷ややかな態度を取っていた住人も和尚の熱意に触れ、手伝い、苦節三十年の年月を掛け342メートルのトンネルが完成しました。ノミと鎚だけしかないその時代、岩に刻まれたノミの痕が、汗と長い辛苦の年月を私達に教えてくれます。

羅漢寺は、青の洞門よりも、ずっと上流の山の中にありました。里のお土産屋さんの駐車場に車を留め、歩いて登りました。(上まで行くリフトがあります)まずリフトの乗り場のある、禅海和尚のお堂に向かいました。ここは、和尚の功績と遺品が納められています。銀猫がお堂の中に、寝転がっていました。仁王門を見る為に、歩いて登りました。中の仁王様は、素朴な石像でした。山道をどんどん登っていくとお堂があり、その先の石段を登った所に、崖を抱いた山門がありました。大きな洞穴の入り口に将軍の足利義満の書いたと云われる額が飾ってありました。その中は、中央に阿弥陀仏、その周りに数百体の羅漢様が様々な姿と表情をして、迎えて呉れました。お参りをして岩の間を抜けると本堂が、崖を背負って建っていました。2階建ての本堂は2階部分は楼になって上からの眺めが楽しめます。ここから見ると、ずいぶん、登ってきたのだなと思いました。降りるのも同じ道を通り、仁王門まで降りてくると、どこかで猫が鳴いています。呼んでみると、捨て猫なのか、黒猫が飛んできて、私の膝の上に乗り、甘えてきました。困ったな、このまま連れて帰ってくれと言っているのかと思いました。10分位私の膝の上で遊んでいましたが、私のジーパンで爪を研ぐので、膝の上から下ろしました。しかし、猫は私の足に絡み付いて、歩けません。仕方ないので、猫を抱いて、禅海和尚のお堂まで降りてきました。お堂の人に聞くと2匹とも、ここら辺の飼い猫という事で安心しました。

羅漢寺は、645年インドから法道仙人が渡来し、洞内に留まり去るに当り念持仏を残したのが、始まりです。その後、平安時代は山岳仏教の霊地として天台宗の時期もありました。1337年臨済宗の円がん照覚禅師が、五百羅漢の石像を安置し羅漢寺を開きました。以来臨済宗26代、1600年、鉄村玄策禅師から曹洞宗に改まって27代になります。