先日、附属幼稚園において、絵画工作展が開催されました。

 

 

小学生の作品ももちろんなのですが、

園児たちの作品は、

エネルギーに満ち溢れていて、

子どもたちが“いきいき”“わくわく”しながら

作品の制作に取り組んでいる姿が

目に浮かぶようでした。

 

 

 

園児たち手作りの“ダンボール迷路”では、

園児たち自身が実際に迷路に挑戦していました。

 

 

 

近畿大学附属小学校・幼稚園の図工教育は、

前校長先生である木原晴夫先生の

影響が大きくあります。

 

 

図工の先生であり、

ご自身も芸術家としてたくさんの作品を残されている

木原先生の紹介は、こちらからどうぞ。

 

 

木原先生は、

図工教育の本質は、

「行為」そのものであると考え、

「行為の図工教育」として、

その考えを確立しておられました。

 

木原先生が書かれた文章を

一部紹介します。

 

「行為の図工教育」(抜粋)

 

【行為】

本校の図工教育の本質は「行為」そのものと考えます。

つまり、元気にのびのび造形活動することが創造性に

つながるということです。

 

体を動かし、はじめてわかること、感じることがあり、

考えることが生まれます。

 

「何かを描こう」「何かをつくろう」と考えたとき、

実際に体を使って製作しないと、

わからないことが多々あることに気づきます。

 

平面作品では、

画用紙に色を入れることにより、自分が思っていた色とちがったり、

色が入ることによって、つぎに使う色や形の発想が生まれます。

 

立体作品では、

ここに、これをつけようとしたらバランスがくずれてしまったりして、

新たな着想が浮かびます。

また、素材が思っていたより硬かったり、柔らかであったり、

思わぬ発見もあります。

 

つまり、行為すること(色を入れる、何かをつけるなど)によって、

いろいろ考えたり、

新たな活動をしていくことによって、

創造の原点が生まれていくわけです。

この制作プロセスが「表現」です。

 

子どもたちひとりひとりは、このプロセスにおいて、

いままで自分が体の中にもっているものを

存分に噴出させ制作していきます。

 

これが個性であります。

 

【説明できない部分】

図工教育は、このように個々の内なるものに刺激され、

表出される部分がひじょうにあります。

 

これは、なかなか説明されるものではありません。

 

「本能」とか「直感」、「感性」という部分でしょうか。

 

図工教育では、

この部分をほんとうに大切にしていかねばなりません。

 

このように、

木原先生は、

子どもたちの内に眠る一人ひとりの個性を

とても大切にされていました。

 

だからこそ、子どもたちも、制作中は魂が開放され、

その作品ものびのびとしたものとなり、

作品を見る私たちも、

作品から元気をもらっていたのだと思います。

 

木原先生の思いは、

今も附属幼稚園・小学校の子どもたちの作品に

反映されています。